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2023年度 第23回Sense of Gender賞講評

大野万紀(翻訳家・書評家)

高殿円『忘らるる物語』〈KADOKAWA〉

中華風の異世界で、帝国に夫や一族を皆殺しにされた小国の姫が男たちへの復讐を心に誓いつつ世界を巡っていくという異世界ファンタジーです。そこに強烈な異能を持つ女性だけの集団が関わり、ジェンダーとシスターフッドをテーマにした骨太で壮大な物語が展開されます。

「男が女を犯せぬ国があるという」という言葉が冒頭に出てきてヒロインに強い意思を抱かせることからも、本書がジェンダー問題、特に家父長制の下にある女性の解放が最大のテーマとなっていることは明白で、センス・オブ・ジェンダー賞に最も相応しい作品だといえるでしょう。

一方でこれは男と女というのもその一形態にすぎない、「支配」についての物語であり、古よりの勝者と敗者、支配と被支配、その心と魂の物語です。真の敵はそのシステムであり、そしてそれは家父長制といったあからさまで目に見えるシステムから最後にはヒトそのものの獣性にまで話が広がっていきます。

だがそれはヒロインにも返ってきます。「母の狂い」というように「母」というもののあり方にもマイナスイメージが投げかけられるのです。そういう両義的で複雑な問題に対して、結末では「忘らるる物語」を忘れないことが強調されます。いわば、たった一つの冴えたやり方があるわけではないが、決してそこに問題があることを忘れてはならないのだということでしょう。異世界ファンタジーでありながら、それは現実のわれわれの問題と直結しているのです。

前半と後半で物語の雰囲気が大きく変わるのは、作者にも迷いがあったのかも知れません。前半には不条理への激しい怒りがあり、復讐のためには手段を選ばない強い思いがあるのに対し、後半は遙かな時間軸方向に話が広がり、ぐっとSF的になります。そのぶん個人の怒りは背景に遠ざかり、復讐や暴力を超えた、より息の長い変革への視線が浮かび上がるのですが、小説としては前半の勢いのまま破滅的に突き進んでも面白かったのではないかと思います。

映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』古賀豪監督作品

大人向けの劇場版アニメ映画で、ゲゲゲの鬼太郎の父親がまだ目玉おやじとなる前、昭和31年の日本を舞台にして、鬼太郎が生まれるに至った恐ろしい経緯が語られる作品です。

メインストーリーは横溝正史っぽい因習村ホラーで、ほとんどの出来事は哭倉村(なぐらむら)という孤立した村の中で起こります。主人公は製薬会社に勤める会社員で戦争帰りの水木という男性。政財界を牛耳っていた龍賀一族の当主、龍賀時貞が亡くなったというのでその故郷である哭倉村を訪れます。そこで時貞の孫であるヒロインの沙代や鬼太郎の父である謎の男と出会います。鬼太郎の父は失踪した妻を探しているのですが、村の人々に怪しまれて捕まり、水木は彼をゲゲ郎と呼んで親しくなるのです。

時貞の跡目争いは遺言があって決着するのですが、その後に関係者が次々と殺される事件が起こり、水木とゲゲ郎もそれに巻き込まれていきます。そしてこの村の恐ろしい秘密が明らかとなり、龍賀一族に使役されている妖怪たちとの激しい戦いがあり、鬼太郎の母であるゲゲ郎の妻との再開、そして残酷で哀しいクライマックスへと向かっていくのです。

主人公の水木と鬼太郎の父がとてもいいですね。ヒロインの沙代は始めと終わりで印象がずいぶん変わってしまうのですが、家父長的な支配の中でひどい目にあいながらそれに耐え、最後に凄まじい復讐を果たすところは溜飲が下がります。とにかく悪役がひたすら悪い奴なので、爽快感もなおさらです。

ジェンダーSFという観点から見ると沙代の存在が大きいのですが、時貞が亡き後、実質的に村を支配しているのは男性ではなく、時貞の娘である乙米です。その娘の沙代も虐待を受けながら実は強い妖力を使える存在であり、ここでは女性の方が体制を維持し、支配力を持っています。だがそれもまた家父長制による支配といえるのでしょう。

高野史緒『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』〈ハヤカワ文庫JA〉

今年の星雲賞受賞作である傑作SFです。時間テーマの本格SFであると同時に、土浦という地方都市の息吹が伝わってくるリアルさとノスタルジー、そしてもちろんガール・ミーツ・ボーイな瑞々しい青春小説です。今回の候補作の中では個人的には一番好きな作品でした。

舞台は2021年の茨城県土浦。女子高校生の夏紀と、飛び級で大学生となった登志夫の二人が主人公なのですが、そこには大きなねじれがあります。二人のいる世界はずれているのです。登志夫の世界がわれわれの世界とほぼ同一である一方、夏紀の世界は今でもソ連が存在しており、月や火星に基地が出来ているのにITの進歩は遅くてスマホもない、そんなちょっとレトロな「空想科学小説の世界」です。

この物語では夏紀のパートと登志夫のパートが交互に描かれ、小さなずれが次第に明らかになり、さらにあるはずのないグラーフ・ツェッペリンの幻影を追うことによって二人の世界が交錯していきます。そしてついに登志夫と夏紀は特殊な形で再会することになるのですが……。ここで本書が本格SFであることが明確になります。現代物理学の宇宙論、時間論が語られ、マルチバースの理論が語られます。

それにしても二人が行くサイバースペースな土浦の町の素晴らしいこと。ノスタルジックで幻想的で、子どものころ見た田舎の町や祭、露天商の売り声、街並や路地裏の臭い、現在と過去、二つの世界が重なり合って融合し、タグに触れる度に土地の記憶があふれ出す、この豊穣さ……。

二人はいわば量子もつれ状態にあり、その合体によって二つの世界は収束します。そしてこのガール・ミーツ・ボーイな甘酸っぱい青春小説は、とても生々しい女性のリアリティに溢れていて、男性としては戸惑うほどです。本書をジェンダーSF的な観点から見るとすれば、その点が最も印象に残るところでしょう。

斜線堂有紀『本の背骨が最後に残る』〈光文社〉

奇想に満ちた異形な世界での、登場人物に襲いかかる執拗で残酷な苦痛と恐怖を主題とした短篇集です。それをさらりと書いてのける作者のとんでもない力量には感服します。

表題作は紙の本が禁止され、本は生きた人間(なぜか女性のみ)が記憶して語るものとなったある国の物語。おぞましいのは同じ物語を記憶した二人の本のどちらが正しいかを判定する競技で、誤りと判定された本は大勢の観客が見守る中で生きたまま焼き殺されるのです。ヒロインは記憶している物語の正誤をかけて相手と舌戦を繰り広げますが、それはほとんどミステリの探偵が推理を戦いあわせる謎解きそのものです。

「ドッペルイェーガー」はVR空間に自分の少女時代のコピーを作り上げ、彼女を追い詰めては拷問してむごたらしく殺すことに喜びを見いだしているサディストの女性が主人公のSFです。彼女はこれは現実じゃなくて仮想のもので相手は自分自身だから誰も傷つけているわけじゃないと抗弁します。残酷描写はともかく、仮想と現実、AIの人格、被害者のいない脳内犯罪、社会の倫理と個人の内心の自由の関わりを描いたSFとして読めます。

「金魚姫の物語」は本書の中でもとりわけ印象に残った作品で、これまた作者らしい残酷さと痛み、またそれに魅了される心の物語です。あるときごく普通の人々の間で、突然どこにいてもその人にだけ雨が降り続け、生きたまま水死体となっていくという奇怪な現象が発生します。この物語はその現象に見舞われた一人の少女と、彼女の写真を撮り続ける年下少年の哀しいラブストーリーです。ある意味難病もののパターンですが、ここでは二人の死に対する意識が強く心を動かします。それが最も露わになるのが、少年が彼女の写真展を開く場面で、同情やお涙ちょうだいへの強烈で悪趣味なアンチテーゼとなっています。

いずれも刺激的な作品ですが、ほとんどが女性を中心に描かれているということを除けばあまりジェンダー的な要素は感じられず、むしろヒューマニズムの限界を探るような作品が多かったように思います。

竹内佐千子『bye-byeアタシのお兄ちゃん』〈講談社 ワイドKC〉

週刊誌に連載されていたコミックで、メイド喫茶ものです。お客をお兄ちゃんと呼んでサービスしてくれる「いもうと」たちのいる喫茶店。お客はメイドに萌えて癒されるのです。

でもこの店のメイドたちは、みんなこの世に何らかの未練がある冥土の住人でした。メイド喫茶で冥土喫茶って出オチみたいですが、すなおに笑えないのは、彼らには生きていたときの人間関係にややこしいもつれがあるからです。「彼ら」といったのは、このメイドさんたち、女性は一人もおらず、オッサンたち(中には犬やドールもいるけれど)が生まれ変わった姿だからです。

例えば定年を迎えたサラリーマンの喜多島さん、メイド喫茶に何の興味もなかったのですが、部下に誘われて店に入り「おかえりなさい」「おにいちゃん」と迎えられてびっくりします。妻と離婚し健康状態も悪く、死を考えていた彼は、メイドのあいちゃんにメロンクリームソーダを勧められ飲んでいるうちに意識がもうろうとし……部下のお兄ちゃんが久しぶりに来てみると、新しいドジな妹ちゃん、まいちゃんがいて、辞めたみゆちゃんの代わりに入ったと言うのですが……。

このように新しいメイドさんが入るたびに古いメイドさんが辞める仕組みで、毎話その新人さんがなぜここでメイドをするようになったのかが語られます。それは決してほのぼのとしたものではなく、殺人事件や一家崩壊といった深刻なものばかりです。

コミックとして面白く読めるし、ほぼ(実質的に)男性ばかりの話で、BL的な面白さもあるように思えます。ただ喜多島さん同様にオッサンの自分としてはそこはよくわからず、またこのメイド喫茶が成り立つルールや仕組みについてももうひとつピンとこなかったのですが、そこらは雰囲気で楽しむのが正解なのでしょう。

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