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2023年度 第23回Sense of Gender賞講評

大木理恵子(アメリカ文化研究者)

おそらく自分では手に取ってみることなどなかったと思われる、新鮮な作品の世界にどっぷりと浸かり、思いがけない豊かな時間を過ごせた幸せを改めて思い返しながら、5つの候補作をふりかえってみたいと思います。

とにかく面白かった! これにつきます。各作品の世界を、純粋に堪能いたしました。時にはほっこり、時にはイライラ、ジリジリ、時にはハラハラしながら、あるいは「うわっ、痛たたたたた!」と声に出して叫びながら、またはしみじみと自分自身の記憶や体験や価値観と照らし合わせてみたり、悪いオトコどもがばっさばっさと斬り捨てられる場面に快哉を叫んだり、どこまでも細やかにそして色鮮やかに隅々まで精緻に構築された異世界に感嘆したりを繰り返しつつ…。

どの作品も、エンタメ作品としても芸術作品としても、一点たりともケチのつけようがありませんでした。ましてや賞の性質に鑑み、浅学を自覚しつつなけなしのジェンダー的視点で優れた作品をと選ぼうとしても、それぞれに興味深くユニークなポイントがあり…、正直なところ、困りました。畢竟強く推薦したい作品を絞り込むことができず、選考会最後の投票をする段に及んで、持ち票の数を増やして欲しいと議長サマに懇願する始末…。どの作品への授賞が決まっても、投票前から私としては全く異論のないというのが、本心でありました。

このように、極めて決断力に欠けた私でしたが、作品と向かい合うなかで特に考えさせられ、書き留めておきたいと思うことがいくつかありました。そのひとつが、愛、ことに男女の性愛エロスとは異なるさまざまな愛の表象が、どの作品にも描かれていたことです。

数多有る中から、いくつか例を挙げてみます。

「史実」とされて人々のあいだで「事実」として当たり前のように信じられている社会的記憶も、個人の経験も、普遍的であるはずの時間軸も、微妙に重なり歪み微妙にずれて存在するパラレルワールドに属する「登志夫」を「…世界丸ごと一つを敵に回す悪役になったとしても」「守りたい」と願う主人公「夏紀」の愛(高野史緒『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』〈ハヤカワ文庫JA〉)。

「『息子は、わたしのための物語ではない』…自分[母親]が寂しいからといって、むやみに彼[息子]の人生に手を付けるのは、強者による暴力と同じ」と、自身に言い聞かせるがごとく言い切る「環璃」の独白から滲むのは、血を分けた子へに対する断ち切り難い愛を巡る葛藤でした(高殿円『忘らるる物語』〈KADOKAWA〉)。

「あの世とこの世の間にある…7人だけの優しい秘密」の「ふしぎなふしぎな妹メイドカフェ」を卒業していこうとする「妹」から新人の「妹」に手渡される命の襷に託されるのは、たとえ短期であろうとも、新しい肉体と名前を授かって生き直しができる権利という、愛に溢れたチャンスでした(竹内佐千子『bye-byeアタシのお兄ちゃん』〈講談社 ワイドKC〉)。

斜線堂有紀『本の背骨が最後に残る』〈光文社〉の表題作およびそれと対をなす「本」の誕生秘話「本は背骨が最初に形成る」(単行本のための書き下ろし)を貫くのは、生身の人間が物語を語ること――これはまさに、我々読者がテクストに向かい合い読み解こうとする行為の鏡像ではないかと強く感じながら、私は読んだのですが――に向けられた偏愛とすら考えられる生半ではない徹底した拘りの愛です。

そして、映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』古賀豪監督作品のそこここにちりばめられた、「ゲゲ郎」の愛の箴言の数々はどれも美しく、何ならこれだけで『幽霊族ゲゲゲのオルマナック暦』(仮)かなにかの一冊も編めそうなくらいでありました。「人間の弱さ、愚かさを、憐み、慈しみ、そして愛し」「愛して信じ、常に共にあろうと」した、妻――愛という言葉を「好んで使っていた」という――と出会ったことで、生き方が変わったという幽霊族の最後の生き残り「ゲゲ郎」は、あくまでも実社会のなかで力を獲得することに貪欲な「水木」を次のように諭します。「よいか水木よ、おまえにもいつか必ず自分より大事なものが現れる。その時今まで自分には見えていなかったものもまた見えるじゃろう」。なんとも深い意味を持つ言葉ではありませんか。そして、彼は愛する妻とこれから生まれる子(鬼太郎)を「水木」に託し、自らは「怨念を引き受けよう」「我が子が生まれる世界じゃ、わしがやらねばならぬ」と、身を献じることを選ぶのです。その「ゲゲ郎」の凛とした姿に、心を動かされない者はいないのではないでしょうか。その姿には、十字架の苦しみと死をもって人間の罪を引き受け贖うことを選んだイエス・キリストに通じるものがあるとすら、私には思えるのです。なんと神々しいかな「ゲゲ郎」。

最後にひとつ、どれだけ私が今回の候補作世界にのめり込んでしまったか、書かせてください。専門がアメリカ文化、というかアメリカ食文化、というか、アメリカ料理、というか、要は単に料理にワクワクするタイプの私は、作品の中に料理がでてくるたび、いちいち立ち止まり、その中のいくつかは、実際作ったりもしました。順不同で。まず、『Bye-Byeアタシのお兄ちゃん』所収「第四話 みく」より、「くにお兄ちゃん」のためのおでん。

おでん『Bye-Byeアタシのお兄ちゃん』より

『本の背骨が最後に残る』所収「死して屍知る者無し」より、「くいな」のための「豆腐ハンバーグ」「ニンジンスティック」添え。ちなみにお祝いの「赤飯」は、私が嫌いなので作りませんでした。

豆腐ハンバーグ ニンジンスティック添え『本の背骨が最後に残る』所収「死して屍知る者無し」より

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』で、「水木」と「ゲゲ郎」に「龍賀」家から提供された夕飯も、そこに表現されたあからさまな待遇の差にいたく感心しながら、再現しました。白米と一汁(豆腐とワカメと葱の味噌汁)二菜(ヤマメ?イワナ?の姿焼きと小鉢)に厚い沢庵5切が添えられた「水木」の膳の川魚は入手が難しかったため大き目のシシャモに串を打ち、2尾に増やして量をカバーし、調製。雑穀米の薄い茶漬けか水漬けという「ゲゲ郎」の膳―-箸置きもナシ!――にあった向こうが透けて見えるほど薄いペラペラの沢庵2枚は、プレパラートの標本づくりを思い浮かべつつ、慎重にスライスしました。

水木の夕飯『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』よりゲゲ郎の夕飯『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』より透けるほど薄い沢庵『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』より

『忘らるる物語』からは、なんといっても「環璃」の心と体にその滋味が沁みわたった「チユギ」特製の粥です。鹿の干し肉は「なとり」の「おつまみビーフジャーキー」で代用。ただし「山藻」の正体が判らず、これは困った、困った。「藻」を調べてみると、苔は陸上、藻は水中で光合成するもの? なのに山の藻とはこれいかに? 「山」をとるか「藻」をとるか。悩んだ末に偶々目についた、神社の参道の低い石塀を覆うベルベットのような美しい苔の一部をこっそりと失敬しようとしたものの、すんでのところで娘に咎められ断念せざるを得ず、結局スーパーで見つけた「アカモク」(海藻)を利用しました。「チユギ」の粥と似ていたかどうかは疑問ですが、少なくとも作る過程を楽しめましたし、美味でした。

『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』のなかで心惹かれたのは、「登志夫」と「夏紀」の「チョコバナナ」。でしたが、これは、例外。敢えて作りませんでした。簡単にチョコバナナを作れるキットが市販されているのも知っていますよ、でも作りません。だってやっぱりこれは、お祭りの屋台で買うことに意味がありますもの、できれば浴衣姿で。あ、そういえば私、浴衣をもっていないのを忘れていました(汗)。

以上をもちまして、私にとっての「忘れられなくなりそうな5つの物語2024」を巡る拙い講評とさせていただきます♪

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