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2021年度 第21回Sense of Gender賞講評

瀧川仁子(ITインストラクター、NPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ キャリアコンサルタント)

よしながふみ『大奥』全19巻(白泉社)

壮大なIFの世界であり歴史大作である。本当に女性がトップを取ったからこそ安定した長期政権になったのかもしれないと思わせる。物語は「今」に向かって収束していき最終的には歴史との辻褄がパズルのように合っていき、実際にはなかった「もう一つの世界」として終わっている。

大きな流れの中で一人一人の人物や一つ一つのできごとが綿密に描かれていて、幾重にも重なった美しいモアレを見るような思いで読んだ。

SFとしてもジェンダー的視点においても、非常に重要な作品として推したい。

個人的には、最後の方は歴史上の登場人物が男性または女性のどちらに設定されているのかを予想する楽しみもあったが、そこでもまさかのとりかえばやが発生したり男性に見えて女性だったりと意表を突かれっぱなしだった。

暴力とも子『VRおじさんの初恋』(一迅社)

内容を文章にすると「あと半年で終わる世界で、現実ではくたびれたおっさん達が美少女の姿で愛し合い、孫もそれを目撃する」というどの方向に走ってもめちゃくちゃな設定だが、現実とバーチャルは融合せず、それぞれの在り方を認めてそのままでいることを「そんなもんなんだ」と淡々と見守るだけの物語が進行していく。

『トロン』『マトリックス』『ヴィーナス・シティ』でのヴァーチャル世界は、宇宙や遠い未来と同様な距離感のあるSFの「舞台」の一つだったように思う。しかし現在は、今あるものがちょっと発展すればできそうな世界に感じられてきた。

挙げた20〜30年前の映画や小説は「SF」だが、同じくバーチャル世界での物語でありながらこの『VRおじさんの初恋』はSFだろうか? おそらく読んだ人のほとんどはSFを意識していないだろう。

ところで前半の途中から列車の旅になったが、後半ではあきらかに『銀河鉄道999』のオマージュと思えてきた。三人はメーテルと鉄郎と車掌さんだろうか。

逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房)

第二次世界大戦の連合国では唯一、ソ連には女性だけの部隊があったそうだ。史実と織り交ぜて、まるで実在の女性のドキュメンタリーであったかのように読んでいくことができた。本賞の対象としてのSFには入らないと思う(女性狙撃手の小隊ではなく少女戦車隊だったらSFなのかというのは置いといて(笑))が、エンターテインメントとして一気に読めた。

思ったのは、「男性の正義は相対的、女性の正義は絶対的」ということだ。男性は所属する組織や国とその中での上下関係の中で認定される「正義」を踏まえて行動し、「敵」を設定している。女性(少なくともこの作品の中で描かれる女性)は、それらに関係なく絶対的に守るべき対象と敵を認定している。だから敵国の子供を保護して引き取り育て、女性に乱暴する兵士を「敵」として撃った。

戦後を生きるセラフィマ達だけでなく、リュドミラの言う「二つ」は私たち誰でもが生きていくためには必要だろう。愛する人か、または趣味や生きがいを持つこと。私は既に後者を持っていることに少しは安心した。

高野史緒『まぜるな危険』(早川書房)

歌舞伎やミステリーやホラーなどの名作が、高野氏の手にかかれば何もかもが「混ぜたらSF」になってしまう。またすごいのが、単にアイディアで終わらずそれらが絡み合いさらに大きなうねりとなって新しい世界を創造するところである。SFは化学反応だ。

「アントンと清姫」を映像化したらどんなものになるだろうか。音楽と桜と舞が絢爛豪華に視界いっぱいに広がり混然一体となって、過去であり現在でもある・東京でありモスクワでもある時空の中で、主人公と同様に視聴者もただただ翻弄されるだけだろう。

大串尚代『立ちどまらない少女たち─〈少女マンガ〉的想像力のゆくえ─』(松柏社)

私自身は少女だった頃の興味が少し異なり、『赤毛のアン』も『大草原の小さな家』も『キャンディ・キャンディ』も読んでいなかった。少女漫画よりも、少年漫画とアニメが好きだった。

本書では作品ごとの解説が丁寧にされているため、そういう読んでない人でも作品についての理解を深めながら読み進めることができた。

先述のように少女漫画に浅学な私は、漠然と少女漫画はヨーロッパの影響を受けていると思い込んでいたが、このようにアメリカの文学と文化を受容してきたことをあらためて認識できた。

アメリカ文学研究だけでなく、また少女漫画論だけでもなく、大串氏の二大興味である両方を関連付けて深く考察された内容は読みごたえがあった。あとがきでも触れられているがまだまだ紹介したい漫画家と作品はたくさんあるそうで、少女と同様に立ち止まらず進み続ける次の展開を楽しみにしている。

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