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2021年度 第21回Sense of Gender賞 講評

岡本俊弥(SFブックレビュア)

暴力とも子『VRおじさんの初恋』(一迅社)は、もともとWebに連載された作品で「次にくるマンガ大賞2021」のノミネート作品でもある。今回の候補作の中で、もっともSF味が濃く、かつジェンダーテーマに深く関係した作品であることから、選考委員の支持を集めSOG賞受賞となった。

舞台は閉鎖間際のメタバース。主人公の初恋を知らないロスジェネおじさん(女子高生のアバター)は、派手なコスプレをする女性と知り合う。最初は戸惑ったおじさんだが、女性のふるまいにだんだんと惹かれ、これって恋なのか、と思うようになる。それまで、メタバース内でも冷めた傍観者に過ぎなかったおじさんが、メインプレーヤーに昇格できたのだ。しかし、もちろん相手の女性もアバターなので……。

サイバーパンクの昔から、電脳空間にジャックインしたあとは、現実世界と異なる姿形(性別、人種、年齢、動物、エイリアン、ロボットなどの非生物)がとれる。外観から始まるジェンダーや人種問題も、この中でなら相対化が可能なのだ。バーチャルだから当たり前だが、現実を代替する(旧Facebookのメタが提唱するような)VRメタバースでは、その影響はより顕著に表れる。

本作品では、中高年男性が女子高生を演じる比較的緩い(ありがちな)導入に始まり、しだいに高齢化社会やドメスティックな問題が提示される。第二部以降では、そこにリアルな少年が加わり(より客観的な視点として)二人の関係が明らかにされる。加えて、世界の果てと、そこへと旅する銀河鉄道999風の列車というビジョンが提示される。イメージしたものに『タウ・ゼロ』や、映画『コンタクト』『インター・ステラー』の名前が挙がる(著者インタビュー)など、俄然SF味が増すのだ。『タウ・ゼロ』で分かるように、「果て」が象徴するものは「終末」ではなく、新たなはじまりでもある。

余談になるが、人はアバターをどういう基準で選ぶだろうか。例えば、岩館真理子「月と雲の間」はVRものではないが、登場する乙女チックおばさんは自身の外見が変わっても少女(乙女)を演じ続ける(『立ちどまらない少女たち』を参照)。ナードがマッチョに変身するとか、自分と正反対のアバターを選択する人もいるが、多くは自分の中にあるもの/近いものを選ぶのではないか。独身男性の派遣社員(ロスジェネで40歳という設定は若すぎるけれど)が目立たない女子高生の姿になるというのは、対極の存在というより自分の閉じた心に近かったからだろう。

よしながふみ『大奥』全19巻(白泉社)は、いまさら説明する必要もない。刊行当初の2005年にセンス・オブ・ジェンダー賞(特別賞)を受賞、その後も英訳版が2009年のジェームズ・ティプトリー・ジュニア賞(現在のアザーワイズ賞)を受賞するなど、SF界から早くに注目されてきた。全巻完結を持って第42回日本SF大賞を受賞したわけだが、これまでも第13回手塚治虫文化賞マンガ大賞(2009)、第56回小学館漫画賞(2010)、文化庁の芸術選奨新人賞(2022)など高評価を得てきた作品である。改めてSOG賞といっても、文字通り屋上屋を架けることになる。結果として、別格の殿堂賞(どこに殿堂があるのかは別にして)が良いという結論になった。

《大奥》の世界は、単純な男女逆転社会ではない。消滅した男の役割を女はどこまで代替できるのか、社会はどう変わるのかまでが考えられている。注目されるのは、これが並行宇宙(パラレルワールド)を描いていないという点だろう。五代将軍綱吉と討ち入り(忠臣蔵)事件、六代家宣時代の江島生島事件、本来選ばれなかったはずの八代吉宗、十代家治と田沼意次、十四代家茂と和宮、起こる歴史的事件はわれわれが知る史実と(外見上)同じに見える。しかし、そもそも別人が将軍になったのだから家来も異なるだろうし、人に関わる事件はすべて違ってくるはずだ。それが同じ歴史をたどるのは、正史の裏に《大奥》という「秘史」があったからなのだ、とする。

赤面疱瘡は天然痘=疱瘡がベースにあり、執筆当時のエボラ出血熱流行がヒントになっている(著者インタビュー)。治療法を探して平賀源内や新井白石らが奮闘する物語は中盤の見せ場。それ以降では幕末のパワーゲームや歴史的な人物について、著者独自の(大胆な)解釈が出てくる。徳川幕政三百年(典型的な家父長社会)を批評した、よしなが史観とでもいえるものだ。もちろん、この作品で描かれる女将軍と大奥の男たちのロマンス、プラトニックな交流、友情、あるいは継承を巡る血なまぐさい(暗殺が横行する)対立なども読みどころとなっている。

ジェンダーという観点がやや弱いので受賞に至らなかったが、もし世の中にSOD(センス・オブ・ドストエフスキー)賞というものがあれば、間違いなく受賞するのが高野史緒『まぜるな危険』(早川書房)である。本書は『ヴェネチアの恋人』(2013)に続く、8年ぶりの第2短編集である。帯にはロシア文学とSFのリミックスとあり、表題の「まぜる」もこのリミックスを意味している。ロシアに関係する著名な文学や歌などと、SFやミステリを「まぜた」作品を集めたものだ。第58回江戸川乱歩賞受賞作『カラマーゾフの妹』(2012)がドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の続編であったように、ロシアに対する造詣の深さが作品の特徴になっている。

それぞれのベースとなるのは以下の作品/事物である。歌舞伎で有名な「安珍と清姫」(いわゆる娘道成寺)+クレムリンにある巨大な割れ鐘「鐘の皇帝」、ソビエト時代の世界的ヒットソング「百万本の薔薇」、ドストエフスキー『白痴』+ベリヤーエフ『ドウエル教授の首』+伊藤計劃『屍者の帝国』+キイス「アルジャーノンに花束を」+他多数、ドストエフスキー『罪と罰』+江戸川乱歩「心理試験」、チェーホフ『桜の園』+佐々木淳子「リディアの住む時に…」、夢野久作『ドグラ・マグラ』+ドフトエフスキー『悪霊』。各作ごとに著者による解題と参考とした作品が列記されているから、詳細はそちらを読めば分かりやすい。

ドストエフスキー色を強く感じるが「百万本の薔薇」のようなワンアイデアのものから、「小ねずみと童貞と復活した女」のように過剰にまざりあったものまで、ロシア・ソビエトネタといってもさまざまである。ロシア文学は過去から連綿とした人気があってファンも一定数いる。しかし、SFファンとはほとんど重ならないと思われる。そういうニッチなリミックスがどの程度受け入れられるかだが、本書は原典が未読でも楽しめるように配慮されていて読みやすい。とはいえ、逆のケースでSF/ミステリの元ネタを知らないと、どこが面白いのか、その意味が分からないかもしれない。

2021年の話題作といえば、逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房)が筆頭に挙がる。今年になって現実との符合に注目が集まったが、第11回アガサ・クリスティー賞、2022年本屋大賞など、時事性だけで取れる賞ではないだろう。読み応え十分の大作である。この作品の場合はSF的な要素が少なく、残念ながら受賞には至らなかった。

1942年2月、イワノフスカヤ村は戦線から離れた場所にあったが、敗走するドイツ軍の部隊により村人は主人公一人を残して惨殺される。そこで、赤軍指揮官のイリーナに見いだされ、主人公は家族を喪った女性だけを集めた狙撃兵の訓練学校に入り、その才能を目覚めさせる。母を撃った敵の狙撃兵を殺すために。

戦闘が長引くにつれ、主人公はいつか殺しを目的化してしまう。復讐心よりも、殺人に快楽を覚えそうになり、何のための戦いか、何を守るべきだったのかに思い悩むのだ。だが、伝説の狙撃者リュドミラ・パヴリチェンコと会話する中で、動機が何であれ狙撃の先には虚無しかないと悟る。では、代わりになるものは何か。

独ソ戦では市民も徹底抗戦を貫き、最後まで戦った。玉砕戦法しか手がない場合もある。西部戦線とは比較にならない、2000万人という膨大な戦死者が出た。唯一、女性が直接戦闘員となった理由はそこにある。状況だけで生じた男女同格なので、職業的な待遇差はないように見えて、それでも見え隠れする差異はある。主人公は女性への暴行禁止など、普遍的な倫理の問題に思い至る。そして、ケーニヒスベルク(カリーニングラード)の戦いで苦渋の決断を迫られる。

本書の場合、80年前の歴史的過去と思われたものが、ウクライナ戦争で現実化した驚きがある。しかし地名は同じでも、過去と現実に起こっている戦争は同じものではない。本書はエンタメ小説として素晴らしいが、この点は注意して読むべきだ。

大串尚代『立ちどまらない少女たち─〈少女マンガ〉的想像力のゆくえ─』(松柏社)は、第5回西脇順三郎学術賞を受賞した評論集である。今期の候補作品の中では、本書が唯一のノンフィクションになる。20世紀後半、1970年代から90年代にかけての少女漫画において、アメリカがどのように影響したかが豊富な事例を引きながら詳細に分析されている。SOG賞にふさわしい内容と思われるが、テーマとの関係もあり、SFマンガについての言及がやや少ないのが瑕瑾となった。

日本では、『ベルばら』『ポーの一族』など欧州志向もあるものの、少女小説『若草物語』『赤毛のアン』『あしながおじさん』と続く、北米文学が根強く影響している。これらはもともと家庭小説、感傷小説であり、女性の美徳の規範を説くものでもあった。従来軽んじられていたが、近年は女性の自立を促したとされ、見直されているという。大ヒットした、孤児から自立する少女を描く『キャンディ・キャンディ』(1975-79)でも、作品のベースにはこれらがあるのだ。以下、日本の少女マンガ特有のアメリカン・ガールが論じられる。

明治期に創られた少女の規範には、欧風生活の理想が描かれていた。戦後になると、民主化=アメリカ化が進行する。理想のアメリカ少女、アメリカン・ライフが紹介され、それはやがて60年代のロマコメ(水野英子、西谷祥子)、70年代(いがらしゆみこ『キャンディ・キャンディ』)、児童文学のアニメーション化、70年代後半(吉田秋生の『カリフォルニア物語』や少女目線の『真夜中のカーボーイ』)、80年代(成田美名子『エイリアン通り』のアメリカに住むアラブの王子、少女の出てこない『BANANA FISH』)、90年代(アシカが主人公の鈴木志保『船を建てる』はアメリカ文学へのオマージュ)と続く。やがて、あこがれのアメリカン・ガールは渡航熱の減少と共に日本回帰する。

その他でも、乙女チックを描く私小説的なもの、吉本ばなな(1989年頃ブレーク)における少女マンガの影響、大島弓子の影響『ジョカヘ……』、19世紀から続くフェミニズム運動とも連動しているワンダーウーマンの変遷などが論じられる。少女マンガについては、サーベイはあっても、一つの視点から体系的に見直す評論はあまり見かけない。大変興味深い論集だった。

2021年度 第21回Sense of Gender賞 最終選考委員の講評

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