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2019年度 第19回Sense of Gender賞 講評

原田和恵(日本文学研究、ジェンダーSF研究会会員)

今回全ての候補作を、コロナ禍の中、楽しみながら読ませて頂きました。また、選考会ではいろんなご意見や解釈を伺い、とても刺激的な時間でした。今回の5作品はジェンダーでも「男性性」、まだ根強い規範の「性の二分化」について考えさせられる作品が多かったように思われます。

蛙田あめ子『女だから、とパーティを追放されたので伝説の魔女と最強タッグを組みました』全2巻

この作品は題名にあるように、「女」という枠に当て嵌められ、社会的に構造化されたジェンダー批判の作品と言えるのではないでしょうか。第1巻のあとがきに、蛙田氏が「某医科大学の不正入試問題に驚いて書き始めた」と書かれているように、制度的に「女」という枠に入る学生を医学界から排斥しようと試みが行われていたことをこのファンタジーの設定(いわゆる、魔術界)で、分かりやすく、読者に呼びかけている作品だと思われます。「女」という枠の中にいる視点から読んでいくと、才能のある人でもこの枠に当てはまるという理由だけで、日常的にどのように差別され、排斥されてきたかというのが浮き彫りにされます。非常に快活にこの制度枠に立ち向かう主人公たちは、読者にある種の満足感や共感を与えてくれます。また、努力を重ねて凄い魔術を得たターニャや長年封印された大魔女のラプラスは、ジェンダーという枠だけでなく、人種や階級などの社会的枠などから抑圧を感じてきた人々にとっては、戦ってこの枠を排除してくれる所も爽快感を与えてくれるに違いないでしょう。更に、最初に男性側についていた狐魔導師にも手を差し伸べるという場面は、あまり今まで見られなかった点だと思われます。家父長制度内での女性同士のいがみ合いで終わらず、制度圧に気付き、助け合うという点も面白いのではないでしょうか。これからの第3巻では、女性同士での精神的なつながりや愛情の発展、また第2巻の最後にこのグループのファンのような男性も登場し、更に男性性にも広がりが見られるのではないかと楽しみにしています。

金田淳子「『グラップラー刃牙』はBLではないかと1日30時間300日考えた乙女の記録ッッ」

候補作の中で、一番笑わせていただいたのが、この本です。このコロナ禍で、とても救われた気がします(金田氏自身のツッコミに思わず笑ってしまいました)。金田氏がブログに書かれたものをまとめられた本ですが、BLものでないもの、特にコテコテの格闘マンガをどういうふうにBL読みをしていくのかというのは、とても面白く、読み応えのあるものだと思います。また、一読者として、断片的な読みからもこういったBL読みができる点は、(男性中心とした読者・消費者の)オタクポストモダン理論に対抗するものだとも読み取れるのではないでしょうか。また今後も新しいBL読みを楽しみにしています。

北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か:不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』

フェミニスト批評の入門書としては、最適の本だと思います。どのようにフェミニスト批評の切り口を見つけて解釈していくかというのが分かりやく書いてあります。また楽しんで批評をすることは重要なことだというのが伝わってきます。著者の専門であるイギリス文学、例えばマーガレット・サッチャーやシェークスピアの批評は掘り下げて書かれてあり、フェミニズム批評の面白さを実感させてくれます。また、フェミニスト批評として、個人の意見や経験を織り交ぜて批評しているのは、第二波フェミニズムやラディカル・フェミニズムのスローガンである「The Personal is Political」(個人的なことは政治的なこと)に基づいた批評であることを再認識させてくれるのではないでしょうか。個人的には、フェミニズムSF批評を取り扱っている最終章において、「キャンプ」を考える『ムーラン・ルージュ』の批評、クイア批評を使ったカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』などの批評を今後もっと読んでみたいと思いました。

澤村伊智『ファミリーランド』

今回5作品の中では、最もSFらしい手法を使われた作品で、題名通り近未来の「家族」に焦点をあてた作品です。各々の作品ではテクノロジーが発展していますが、結婚、出産、嫁姑、母娘関係、介護など、現在の日常の家族生活に重なるものにテーマがおかれています。個人的には、家族における男性性の位置を考えさせる「翼の折れた金魚」、「今夜宇宙船の見える丘に」という作品が印象深かったです。「翼の折れた金魚」では、出産を統一化し優生学的な出産を行うという視点は今までにもたくさん語られてきていますが、コキュニアという薬を投与して行う計画出産は、「子供の知能を劇的に高める効果」と共に、外見変化「金髪と青い目」も行われ、いわゆる白人化させるのが普遍化されている設定です。「知能が高い=白人」という植民地主義・優生学的なレガシー、日本人の異常なまでの白人憧憬を批判しているようにも解釈できます。最終的に、計画出産をしたにも関わらず、主人公あきらの子供は日本人の外見「黒い髪と黒い目」で生まれ、子供の髪を染め、カラーコンタクトレンズを付けさせて学校に行かせるところで終わっています。世間体を気にして、息子に悪いと思いながらも、既成の価値観から抜けられず、そうさせずにはいられない気持ち悪さがとてもよく伝わってきます。「今夜宇宙船に見える丘に」では、父と息子との関係と介護に注目しているところが興味深いです。介護をしやすくするために、介護される側の体の改造をするのは、男性性の改造と共にエイジズムや健常者・障害者の問題と深く絡み合っていると思います。息子は社会から抑圧され、父は介護される者として罪の意識から体を改造する過程は、抑圧された男性性を物語っているものと読み取れる点です。ですが、『ファミリーランド』とあるように、6篇があってこそ全体が出来上がっているものであり、とても完成度の高い作品だと思います。

清家雪子『月に吠えらんねえ』全11巻

作者が日本近代文壇における詩人や文人の解釈をマンガにしたものです。萩原朔太郎を中心とした北原白秋や三好達治とのホモソーシャルな関係をハイライトしたものです。膨大な資料や詩歌を解釈したものを二次創作するというのもこの作品の面白さでしょう。キース・ヴィンセントがTwo-Timing Modernity: Homosocial Narrative in Modern Japanese Fiction (2012)で夏目漱石の作品『こころ』などの文壇におけるホモソーシャルな関係、師匠と門弟である「私と先生」の関係の繋がりに焦点をおいた分析したものを思い出されてなりません。また、朔太郎の『月に吠える』という詩集を『月に吠えらんねえ』ともじってあるように、1930年代に入り、日本が帝国主義の道へ傾倒しき、戦争に突入した折に、転向せざるを得なかった詩人の詩歌の精神的な葛藤や苦しみ、または帝国主義に傾倒していった詩人たちを再解釈していると思います。このイデオロギーに添うことにより、一辺倒になる創作の苦しみ、純粋に創作できない葛藤を精神的に患っている描写なども「男性性」に広がりを持たせているのではないでしょうか。また、日本の戦争責任を考える上でも、戦争に加担をした状況、転向しざるを得なかった状況、小さな抵抗をした1930年代における詩人たちの様々な「男性性」の再解釈とも考えられ、意義がある作品だと思います。このマンガは、時空間が何度も飛び、様々な詩人キャラクターの多さを含めて、ストーリーが複雑で、暗喩などもあって、分かりにくいのも特徴です。読者が何度も読み返す作業も含めて、これがまたこの作品の面白さだと思います。また、Canonと言われる純文学、近代文学の面白さを二次創作によって再構築するというのは、ある意味Canonの解体、BL読みにより新たな解釈を提示しているものと読み取れるのではないでしょうか。こういった点を含めて、今回のセンス・オブ・ジェンダー賞に相応しい作品ではないかと思われます。

2019年度 第19回Sense of Gender賞 最終選考委員の講評

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