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2019年度 第19回Sense of Gender賞講評

宮本道人(科学文化作家)

澤村伊智『ファミリーランド』は、ジェンダーSFの射程を伸ばした意欲的な作品だと感じ、特別賞に強く推した。

この連作短編集では、マッチング、出産、子育て、嫁姑問題、介護、葬儀というそれぞれの人生フェイズの未来像が、様々な立場の主人公の視点で描かれている。この中で、ジェンダーSF的な要素は、未来の人間の一生を考える上でのピースとして機能しており、かつホラー的なテイストを生み出す重要なフックにもなっている。SFでよく描かれる「国家による支配」のような大きい問題だけではなく、「家族がお互いに行う支配」のような問題が描かれていることは、コロナ禍が生み出した巣ごもり社会において特に意義深く感じた。また、「男性社会」から落ちぶれた男性を描いている点や、男性の無意識的な思考が持ち得る問題を可視化した点などは、「男性学SF」と新しくジャンルを作って評価しても良いかもしれない。

どの短編でも印象的なのは、古い価値観が変化しないままに一部の技術だけが進歩してしまうことの恐ろしさだ。作中の登場人物の多くは古い家族像にとらわれていて、未来社会ならではの発想を持っている人物はあまり登場しない。また、社会の全体像はほとんど今と変わらず、フォーカスされている技術以外の部分から未来を感じることはほとんどない。もちろん、ここをSF的欠点として捉える読者もいるかもしれない。しかし個人的には、ここを欠点ではなくむしろ魅力として捉えたい。というのも、この点こそが本作のホラー度を上げているからだ。さらに言えば、実際この現実世界では、常にそのようなことが問題を引き起こしているのではなかったか。企業が古い価値観に基づいて製品を宣伝して問題になることは、今も絶えず起こっている。SF読者はよく、未来では価値観も社会も大きく変わっていると思い込みがちであるが、実際のところ、この現在の社会は、過去のSFで想像された未来のほとんどよりももっと「現実的」であった。未来が本作のようにならないと、誰が言えるだろうか。

本作は、近年話題になっている「SFプロトタイピング」的な手法の1つの手本になり得るとも感じた。SFプロトタイピングでは、企業の考える1つのガジェットが実現した未来を描く、といったようなプロジェクトが多いが、本作もそのような作りに近い。そして多くのSFプロトタイピングは、「ポジティブな未来を考えてほしい」という要請とセットになっていて、ガジェットの問題点に迫れないという構造的欠陥を抱えているが、本作はそこが違う。「ホラーSFプロトタイピング」とでも呼ぶべき、ガジェットの負の可能性をえぐり出す手法は、今後、SFプロトタイピング業界でも参考にすべきものであろう。

蛙田あめこ『女だからとパーティを追放されたので伝説の魔女とタッグを組みました』全2巻は、最初から最後までガールズエンパワーメントの熱量にあふれており、候補作の中ではもっとも楽しく読ませて頂いた。

悪を悪と思っていない男性社会が主人公たちに勢いよくひっくり返されていくさまは痛快であった。特に、近年のジェンダーにまつわる社会問題をスピーディにファンタジーへと取り込んだ点は、高い評価に値する。これから生まれる、今の社会問題を知らない世代が本作を読んだらどう思うのだろうか。こんなひどい社会はファンタジーの中だけだろう、と思えるくらいまで世界は変わっているのだろうか。そんなことも考えさせられた。また、RPG的な転職システムを逆手に取ったキャリア描写などの設定も秀逸。現代的な価値観が反映された架空世界は、「昔ながらの」ファンタジー世界と異なる魅力があり、新鮮であった。

一方で、女VS男という構図をわかりやすくするために、性別を意識させない関係性はほとんどなく、曖昧な性別も登場せず、男性キャラクターも記号化され過ぎているきらいがあった。本作で展開された筆力をもってすれば、そのような点を更新して全く新しいジェンダー観を提示することは可能であると思うため、続刊、あるいは今後の作品を非常に楽しみにしている。

北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』 北村紗衣は、フェミニズムへの入門書としての意義が大きい良書であった。

様々な作品が様々な観点から批評され、近年の議論や運動もコンパクトにまとめられているため、抽象的ではなく具体的事例がわかり、たいへん勉強になる書籍である。クリエイターにとっては、作品を書く際にこのような点に気をつけた方が良いという手引書にもなるだろう。特に男性クリエイターで、女性やマイノリティが身近にいない人間にとっては、このような書籍は非常に有用なはずだ。

また、書籍全体の中でSFやファンタジーへの批評は一部分だけであるが、その他の様々な作品批評の中にそれが置かれているという構成は、ジャンル外の読者にとってもSFやファンタジーへの理解を深める機会になるため、ジャンルの間口を広げる仕事としても評価できると感じた。

金田淳子「『グラップラー刃牙』はBLではないかと1日30時間300日考えた乙女の記録ッッ」は、物語をBLとして解釈する手法がそれなりの長さの文章で可視化されたという点で、意義ある書籍だと感じた。

全体を読んだ後で書くのではなく、飛び飛びに読んでいる部分も含めて読みながら書く記録という形式はとてもユニーク。膨大な注釈もあわせて、読み手の思考を順に追ってゆくことができるという点で、「BL読者」を研究するにあたって貴重な資料に成り得るだろう。

清家雪子『月に吠えらんねえ』全11巻は、今回みごと大賞に輝いた作品である。

現実と幻想が混じり合った奇妙な世界を舞台に、文学と戦争の関係性が描き出されてゆく様は印象的であった。詩を漫画に組み合わせた前衛的な試みや、メタ的に入り組んだストーリー構成も、文学の地平を引き上げる貴重な試みに感じた。

上述した「SFプロトタイピング」のように、近年の社会ではフィクションを実用するための議論も増えているが、フィクションが権力者に使われる際の危険性は、忘れてはならない大きな問題である。これを過去にない手法で異様な迫力をもって描き出したことも、本作の一つの功績と言えよう。

とはいえ、作品構造は分かりにくく、日本文学に詳しくない人間にとっては普通に読み進めるのが難しい部分も多い。エヴァのTVシリーズの最終回を、それまでの回を見ずに鑑賞したらこうなるだろう、という感覚に近いか。人を選ぶ作品ではあるため、もしかするとこの講評を読んでいる方の中にも、本作が大賞になったことが理解できない方もいるかもしれない。個人的にも実は最初、本作の魅力を把握できてはいなかった。しかし、審査会で他の審査員の方々の意見を聞き、文人のホモソーシャリティ、戦争に至るマスキュリニティなど、綿密な調査から練られたジェンダー分析が文学と戦争の話と噛み合っている巧みさに納得させられる部分があったので、これを大賞とすることに同意した。日本文学に素養のある読み手がどう読んだかの理解を経由すると本作の価値がより認識しやすくなると思うので、他の審査員の方々の講評をぜひ読んでみて頂きたい。

ここまで、候補5作について述べてきた。

最後に、選評としては明らかに余計であるが、2019年の日本のジェンダーSF状況全体はどのようなものだったかについて、簡単に触れておきたい。

まず、おそらくもっとも話題になったことの1つは「百合SF」ブームであろう。このムーブメントの仕掛け方には賛否両論があるが、少なくとも日本のSF業界に新しい風をもたらしたのは間違いない。「百合」という言葉を経由してジェンダーSFに興味を持つ読者が増えたということは評価に値する。

ゲーム業界では『DEATH STRANDING』というユニークな作品が日本から誕生し、海外でも話題になった。男性が胎児を「装備」し、あやしながら敵から逃げるという設定は、ジェンダーSFとして評価すべきものであろう。コントローラーから胎児の声が聞こえるギミックも、これまでにないジェンダーSF表現を開拓していた。Sense of Gender賞では過去にゲーム作品の受賞がなく、今回の選考においてTwitterのハッシュタグで参考作品を上げてゆく段階でもゲームが見られなかったが、近年はゲーム業界からも良質なジェンダーSFが登場してきている。今後、VRゲームなど、さらに表現媒体の幅が上がってくると思われるが、その際に本賞がどのように対応してゆくのか、そろそろ考えなくてはならないだろう。

また、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞の名称がアザーワイズ賞に変更されたという海外の動きも、日本のSF業界で少なからず話題になった。このような、様々な名称に人名を冠するのをやめる流れは、日本ではまだ多くの人に理解されていないように感じるが、これからの日本でも重要なことになってゆくだろう。

以上、このような様々な動きがあるなかで、最終選考に残った候補5作は、どれも少しずつメタ的な視点に立って状況が俯瞰できているように感じさせる、特に意義深いものばかりであった。候補5作すべてに心からの賛辞を送りたい。

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