樺山三英(作家)
新井素子「お片づけロボット」(『人工知能の見る夢は AIショートショート集』収録)
ひところのAIブームのさなかで、「○○年後に無くなる仕事ランキング」的なものがよく取り沙汰されたことがあった。その信憑性はさておくとしても、意外に思われたのは、法務や会計といった知的専門作業のかなりの部分がAIによって代替可能だという事実だった。では逆に自動化できない仕事とは何か? そこで改めて持ち上がってくるのが、介護や料理や育児といった、伝統的に家庭内で賄われてきた、いわゆるシャドウワークの問題ということになるだろう。本作は部屋の片づけというもっとも身近な作業を題材にして、何気ない家事労働がその実、かなり高度で複雑なコミュニケーションを要するプロフェッショナルな業務であることを呈示する。鮮やかでユーモラスな筆致は、この作者ならではのものだ。元々の掲載誌だった人工知能学会誌は、掃除するメイドロボットの絵を表紙に載せたことで物議を醸したことがあったが、この騒動への応答として読むこともできるだろう。ショートショートという枠組みのため、他の候補作と同列に並べて論じることが難しく、強く推すことはできなかったが、たいへん刺激に満ちた一作だった。
白井弓子『イワとニキの新婚旅行』
神話とSFというのは元々歳の離れた兄弟のようなもので互いの相性はすこぶる良い。ゼラズニイしかりダン・シモンズしかり、あるいはもはやそれ自体が一個の神話と化した感もある「スターウォーズ」のことを考えてもいい。ただその種のSFの多くは、神話の欲望そのものを模倣し、叙事詩的英雄譚を描きがちだ。そこに秘められた支配欲や暴力性を自覚することがないままに。だが本作は違っている。まず驚かされるのは、異星人と人類の戦いの過程が「ごくありふれた全面戦争」だったとして完全に省かれている点だろう。そのうえで「帝国」が作り出した秩序下を生き抜く、人類の姿を描き出してゆく。レジスタンスの悲劇的抵抗ではなく、といって順応主義者のそれでもない。扱われるのはそのあわいに位置する、もっと微妙で繊細な位相だ。押しつけられた「神話」を抱きしめ、受け容れつつも、自らが生き残る術を模索すること。やりようによってはもっとシリアスになりそうな素材を、軽やかなスタイルで描き切っているところがすばらしい。プロメテウス神話にBLを読み込む、したたかな女子会メンバーたちの姿がとくに印象的だった。欲を言えば、他の神話ネタももっと読みたかった。連作がやや駆け足で収束してしまった感じもあって、そこだけがやや心残りだった。
古谷田奈月『望むのは』
隣の家のお母さんはゴリラ、学校に行けばハクビシンの先生もいる――そんな少しファンタジックな世界を描く本作はしかし、意外にも正統派な青春小説/成長小説として展開してゆく。「何者でもないわたし」が周囲の世界を手探りしながら進んでいく姿を丹念に描いて、古典的教養小説のような趣さえ感じられた。色や光という、移ろいやすくまたそれ自体では輪郭を持たない対象を捉え、言葉を与えてゆく過程そのものが、主人公の成長に重ね合わされていくように実感される。すぐれた文芸作品として評価されるべき一冊だと思った。一方、ジェンダー的視点から見たときにはどうか? ファンタジックな設定は、たしかにそれ自体がマイノリティや性差、偏見といった主題を含んでいるように思える。ただ本作が描く世界は基本的に淡く、また優しくて穏やかなものだ。それは最大の美徳であると同時に弱点であるのかもしれない。人々が(とくに子供たちが)しばしば剥き出しにする、異質なものに対する容赦ない敵意や残酷な攻撃性は、この作品世界には存在しない。結果、ジェンダー的核心には触れつつも深くは踏み込めていないような、少しもどかしい印象も残った。ただ作品としてのすばらしさはもちろん否定しようのないものであり、選考の末、本作の受賞が決まったことは大いに歓迎したい。
溝口彰子『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』『BL進化論〔対話篇〕ボーイズラブが生まれる場所』
あらかじめ結論から言うと、筆者がもっとも推したのは本書だった。森茉莉から24年組の美少年漫画、雑誌「JUNE」と栗本薫を経て、やおいそしてBLへという通史的見取り図を描きつつ、社会史的考察や作り手との対話まで盛り込んだ文句なしの大著で、刊行の意義は大きいと思う。ただ本書が描く見取り図には必ずしも賛同するわけではない。とくに違和感が残るのは、BLの「進化」という捉え方だった。ミソジニーとホモフォビア、異性愛規範に満たされた想像力が、現実のゲイの人々との論争などを経て、より多様な性理解に基づくそれにアップデートされてゆく――たしかに説得力に富む歴史観だが、それを「進化」と呼んでしまうことは、否応なく一定の価値基準を呼び込んでしまう。結果、「進化」に適合したものは歴史に記される価値を持つが、こぼれ落ちたものたちは忘れ去られる。あらゆる通史的試みが孕む暴力性と、本書もまた無縁ではないように思える。とはいえこのようなかたちでBL史が世に問われたことの意義はやはり大きい。取り込まれなかった別様の歴史があるなら、本書にぶつけるかたちで提出すればいいのだから。以後の研究の叩き台としての役割も重要になるだろう。刊行年度のこともあり、特別賞という枠に落ち着いたが、SOG賞として本書を推せることはとても嬉しい。