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2013年度 第13回Sense of Gender賞講評

ni_ka(アーティスト・詩人)

アーティストのni_kaと申します。わたしはARを用いた詩やモニタ上で動く詩などを発表してきました。SFマガジンなどで紹介していただいたこともあります。今回御呼びいただいたのは、AR詩がSF的な要素の強い作品だと思っていただけたからかなと考えています。

わたしみたいなSF読みではないアーティストが選考なんてしてよいのかなという葛藤がありましたが、小説や漫画における「ジェンダー」や「ジャンル」という概念、そして作品外部にあるものを真剣に考える機会だととらえて全力で読んで考えてみました。

優れた作品は、数知れない摩訶不思議な感覚のヴェールでわたしたちを覆います。迷宮に迷い込まされることもあります。そしてその迷宮が何に由来しているのか、その感覚がどこからくるのか識別しているうちに幾筋かの光が見得る瞬間があるのです。

どうかこの選考を通じて、優れた作品や芸術のもつ可能性を感じていただければと思います。

六冬和生『みずは無間』

わたしたち人間にまとわりつく忌まわしい脳と身体。『みずは無間』は、この人間の血肉、骨を抹消させてゆくことにより、「記憶」にひたすら依存するフラットな共依存の無間におちてゆく物語です。みずは(女性)が透(男性)を追うストーカーホラーやセカイ系というだけの作品ではなく、脳のエラー=共依存、摂食障害、アイデンティティの不確かさなどの「歪み」そのものをAIに搭載させ宇宙に浮遊させ続けたポスト・ヒューマン小説だと思い、共感し、高く評価しました。

後半、AIの透の語りは信用できないものに変容してゆきます。そして前半の語りで冷静な性格だと読者に思わせていたAIの透は、みずは=外側に預けてきた暗部が揺らぎ始めることとなります。暗部の内側は語り部のAI、人工物、宇宙そのものなのかもしれない。そもそもこの小説は、読者との適切な距離を許さないのです。そこが素晴らしかった。

「人工物」であり記憶に縛られるAIは「自然」としての宇宙と同時に「脳のエラー」の宇宙を漂っている。そしてそこはまさに無間であり終わることすら許されない。作者さんが新人さんだからか文体や設定に固さがみられるけれども、わたしはこの「共依存宇宙小説」を強く推しました。わたしたちは空間と時間と脳と身体に支配されてそれをふりきることもできず、時にひとりぼっちで「時空」ではない「孤独や飢餓としての記号」の宇宙をさまよう哀しい生き物だから。

菅浩江『誰に見しょとて』

わたしたちが逃れることができなくなった「美容」の現代性を小説の中に豊かに映し出し、今あるこの過酷な美容環境を、SFという機能により異化した見事な作品。わたしは、『みずは無間』と共に本作品を強く推したのですが、作品として完成度が高いですし、意味的にもセンス・オブ・ジェンダー賞に本当にふさわしいと思います。

みずみずしい美しい文体でわたしたちのすぐ側に横たわる切実な美容に関する「現実感」を小説という媒体で描ききり、わたしたちは生まれ変われるかもしれない、わたしたちは自己実現できるかもしれない、と本来の医療や美容の経験的規範に縛られた読者をこことは違うSF空間へ誘う。

視覚的なイメージ描写の巧みさは『みずは無間』が意図的に封印したものであったように感じました。本作品においてはそこが大きな魅力のひとつ。そしてこの魅力は、現代、現実、わたし、他者、未知との橋渡しに見事になっています。イメージが強く描かれているしそれが主題なはずなのに、読み進めてゆくうちに、なぜか視覚的感覚からも離れその世界に触れているような触覚的感覚をも覚えます。

テクノロジーによる身体改造などを描いているのに作品の思想がポジティブすぎるかもしれない。けれどこの物語においてはそれは瑕疵にならないと感じました。自分の思想とは別に、科学の美容への介入やSF的ガジェットの制約が逆に健康的な開放感に繋がる素晴らしい小説です。

坂井恵理『ヒヤマケンタロウの妊娠』

10代の男女にぜひ読んでほしい良作です。もしも男性が妊娠したら、という設定や、妊娠した男性が「社会」と対峙する主題がとても良かったです。

ただ、1巻で完結のお話なので、スマートに物事が進行しすぎてしまい心理の掘り下げが甘くなっているのが残念に思いました。合理的すぎる主人公のケンタロウにあまりにも葛藤やためらいがないのです。もっとこの世界や出産の複雑性を表現することができていたらさらに強度ある作品になっていたことでしょう。

明治カナ子『坂の上の魔法使い』(全3巻)

「不穏な断絶のファンタジー」として読むことができる作品だと思いました。わたしはBL初心者なので謙虚にこの作品に向き合ったのですが、それでも必然性が理解できなかったり、いささか戸惑う描写もあったのですが、それはここでは置いておきます。

この作品では性行為なしで男性である魔法使いが愛する王子の赤ちゃんを身ごもり、「肛門」から再出産をする。そして生まれた男の子の父親である王子とその魔法使いは、愛し合いながらも性行為無しの性関係があるような契りがあるのです。幾重にもねじれていて不穏で怖いまま物語は進みます。怖いと言ってもそれはホラーのような怖さなどではなく、いわば村上春樹作品のような不穏さ、怖さなのです。

また、この物語の中の魔法使いは「霞」を食べて生活しています。それは浮世離れした仙人的な存在であることを示唆しながらも、つまり本当は何も食べていない。魔法使いは、死んでいるのではないけれども限りなく死や透明に近い存在として読者の欲望や諦観の象徴として物語の中で生き、そして死ぬ。抱えきれないほどの断念が哀しい物語です。

けれどもわたしにはこの作品の面白さの中核とジェンダー的な意味をきちんと読み取ることができなかったように思います。

田辺青蛙『あめだま 青蛙モノノケ語り』

異界への小さな穴がもしかしたらおうちのクローゼットの中にあるのかもしれない、という感覚を彩り豊かに描いている短編集です。ホラー・スプラッター的なものが苦手なわたしでも読むことができました。口の中で溶解してゆくあめだまと、この世界と異界との溶解のスポットが戯れている。この調子の長いお話が読んでみたいと思いました。

最後に、このような貴重な機会をを与えてくださったジェンダーSF研究会と、真剣に議論をして下さった選考委員の皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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