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2008年度 第8回Sense of Gender賞講評

茅野裕城子(作家)

まず、漫画からと読み始めた『秘密の新撰組』で、すでに、これが受賞でいいのでは、という」ような強い衝撃を受けてしまいました。ある日、胸が女性のように隆起しはじめた何人かの男たちの戸惑いと生き方の変化、精神的成長(?)というのは、なんとなく、松浦理英子の『親指Pの修行時代』の逆みたいではないか、と。でも、なんでそれが新撰組なのか、納得できないまま、読み終えてしまいましたが、突如出現した乳房にも、個人差が大きく影を落としているのが、おもしろかった。男女差にも勝る個人差(笑)。それと、近藤の脱ぎっぷりのよさに、感動!不条理な世界のなかで、与えられた役目を果たし、女の胸を内に抱え込んだまま、死んでいく彼らの運命を作者はなにに重ね合わせたのか、はっきりと理解できてはいないのに、心に長く残る作品でした。

次に、『女神記』ですが、わたしは、以前、この舞台となったとおもわれる沖縄の島のドキュメンタリーを見たことがあります。あの、絶対的に不吉ともいえる神聖な場所、そのイメージが、そのまま、文字で表されている、描写のすばらしさに圧倒されました。読み終わるまで、これが神話のシリーズの一冊であるということも知らず、一冊の小説として読み、堪能しました。村上春樹『1Q84』では、人間の肉体を「遺伝子の乗り物」というふうにみていくのですが、ここでは、肉体を乗り継いでいく情や恨みなどが出てきて、それこそが神話であるという深さと怖さを感じます。ナミマが自分を殺した夫のマヒトに、死後の世界でそのわけを問い詰める部分が、わたしは最もすきです。見事なまでに、夫はなにも覚えていない「わかりません、ああ、そうだったのですか」と政治家のような答弁を繰りかえすばかり。そのせつなさ、持って行き場のないナミマの恨みが、そこで尽きるような気がして、なぜか爽快すらあります。一種の昇華でしょうか。南の島の風のなかを、ただ空しく浮遊していく救われない女の魂、神と人との間の物語である。

『伯林星列/ベルリン・コンステラテイオーン』は、読むのに、特別な集中力が必要でした。それは、この作品の主人公が受ける肉体的な試練に比べてみると、些細なことではありますが、やはり、読む者も、(わたしだけかもしれませんが)詳しく知らない1936年の世界の歴史、そして、政治、それは、ヨーロッパだけでなく、中国にまで広がり、現実とのズレも生じるという複雑ななかで、もう、わからなくなってきた、読み進められないかもしれない、と音を上げそうになる頃、毎回、ころっと、主人公の受ける性の辱め、そして甘い官能、という読みやすい領域へと移行している。まるで、読者に、飴と鞭を与えることを繰り返すようにして、結局、最後まで一気に読ませてしまうというタイプの、怪しい魅力を備えた小説でした。また、主人公の、ひょんなことから、国籍も、名前も、なにもかも失った状態、そして、肉体的にも主体性を失っていく、二重の意味で、ディアスポラ的な状況。そこに置かれた、戦争中の日本人の苦悩というものを、描いたとみることができるかもしれません。

受賞作の『ヘルマフロディテの体温』は、『伯林』のすぐ後に読んだせいかもしれませんが、真性半陰陽、フェミニエロ、カストラートなど一種ヘビーなテーマが、どことなく、上品に、さらりと、描かれているというのが、第一印象でした。南イタリアというのは、なにかにつけ、とても「濃い」土地です。その癖のある文化そのものの色や味を残しながら、ひとつの耽美的な小作品に結晶させた力を評価しました。また、母親が、男になってしまう、という設定そのものが、母性という女性の感情の根幹のように位置づけられていたものが、実は、ある一時期備わって、また消えていく類の感情である、という捉え方でもあり、これは、斬新でした。また、小説のなかにある小説、レポート形式、などなど、さまざまな要素の組み合わせのセンスも、好きでした。わたしたちの世代の人間にとっては、十代の頃に、よくわからないながら読んだ澁澤龍彦にはじまる多くの衒学的幻想世界を思い出させてくれ、なつかしさすら覚える一冊でした。

最後に『仮想儀礼』ですが、なんと、この作品に接するまで、わたしは篠田節子さんの本を一冊も読んだことがありませんでした。それが、いきなり、これで、もう、ひれ伏してしまったと言っても過言ではありません。センス・オブ・ジェンダーというテーマ的には、ぴったり来ませんでしたが、わたしのなかでは、この作品に出会えたことは、それくらいに大きかったです。

多くのひとが、新興宗教、カルトに対して抱く、言葉では説明しがたい圧倒的な嫌悪。それを徹底的に洗い出し、裏側から炙り出していったのが、この作品ではないでしょうか。骨太で上質なブラック・ユーモアのセンス。たとえば、チベット仏教で、大切な白い布、カタについての描写など、わたしが、いつも、カタをみるときに、疑問におもうこと、一瞬よぎる不安そのままでした。これは、「グゲ王国の秘法」という没になったゲーム本を、編集者と作家が、どうリサイクル(再生)させたか、という物語でもあり、また、嘘からでた誠の恐ろしさ、あるいは、ゲームの中での役柄を、生身の人間として生きていくとはどういうことか、を書ききった作品だとおもいます。登場する信者の女性たちは、現代社会の歪を、それぞれに抱え込み、遂に、抱えきれなくなった存在として描かれていますが、この賞の視点に照らし合わせると、やはり、偽教祖が、女性信者たちに輪姦されるところに、多くに暗示が含まれていると感じます。カルトに、片足でも突っ込んでいるひとに、ぜひ、読んでほしい小説です!!!

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