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2007年度 第7回Sense of Gender賞講評

yasuko(ジェンダーSF研究会会員、ミュージシャン)

今回の5作品は、それぞれに「食べる」物語や「母」の物語など「身体」に直接響く想像力を引き出してくる力に溢れていて、個人的にどれも大変に衝撃を受けました。
純粋に衝撃度が高かったのは、黙示録的な極限状況かつ女性不在という特殊な世界で、愛しい者の命を守らなければならないという重責に壊れ怪物化していく存在(これは私には「母」に見えました)を淡々と描き、更に文字通り人肉を食す「食べる」と性的に搾取する「食べる」を重ね合わせて見せた──不在だからこそ女性にのしかかる力(暴力と言い換えても良いと思います)を純度の高いまま暴いていた『WELL』です。
『SEX PISTOLS』の、人類亜種である斑類であれば男性も「母」になれるし女性同士でも出産が可能という驚異的な設定とパワフルなキャラクターたちのドラマは、ショックを通り越して痛快でした。かつて『鼻行類』を読んだ時のような、ありえないけどすぐそばにあってもいいかと思える世界は、セクシュアリティの在り方を考える想像力にとんでもなく自由度を与えてくれます。
三人のヒロインが、各々の少女時代を表象するスイーツを食べるごとに殺人が進行し、果てに自家中毒を起こしていく様子をマジック・リアリズム的に描いた『スイート・ダイアリーズ』には、「少女」の消化不良という問題に思わず自分の胃をおさえました。読者層を「30代女子」と銘打った雑誌に目がとまったりしていた矢先の読書体験に、現状に沿った大人の女性の在り方を女性自らが模索する試みが拡がっていることを感じました。

最後まで大賞に推させていただこうかどうしようかと迷った『犬身』は、主人公の房江によって宣言される「ドッグ・セクシュアル」という人間の枠を越えたセクシュアリティの在り方への挑戦、そして様々な障害を乗り越えて挑戦を完遂する房江=フサの魂を心強く思う側ら、ドッグ・セクシュアルを持つフサのパートナーとなる梓の背景に歪んだ母と兄の支配、更に兄による近親相姦とシビアな事情が多く、独特なセクシュアリティが充足される情況の難しさに呻らされました。
一方で、房江を犬(フサ)に転生させるなど絶対的な力を有し悪魔を彷彿とさせる朱尾が、所有、あるいは文字通り「食べる」はずだったフサの魂と共に在るうちにほだされていき、最後にはフサの願いを叶えるまでに至るのには微笑ましさと希望を感じました。同時に、「魂なんてあってたまるか」と言い捨て、フサのセクシュアリティを否定してかかっていた朱尾を打ち破れたのは、フサが自分を決して見失わなかったからであることを考えると、アイデンティティとセクシュアリティの関係の深さを改めて見直したくなります。そうして見えてくるのは「身体」ではなく「魂」であるのではないかと。

最終的に大賞に一票投じさせていただいた『チキタ★GUGU』では、人間を文字通り「食べる」人喰いの妖(あやかし)と捕食される人間が「不味い人間を百年育てると美味になる」という仕掛けによって意図的に寄り添わされる──いきなり、肉親をすべて「食べられた」チキタが、「食べた」人喰いの妖ラー・ラム・デラルと一緒に暮らすはめになる──、そんな情況にまず驚かされました。
何故人間を「食べる」ことができるのか。それは相手の声が聞こえないからだと説かれるのですが、作中にあるように、みかんを食べるとき「この子(みかん)の絶叫が聞こえた?」と問われても、それが「食べる」ことにおける差別の構造であることに気付いても、チキタは、そして読者もそれに是とは答えられません。その断絶の深さに震撼しながら、食べて食べられ殺し殺される者たちの双方に向けて声=言葉を届ける努力が積み重ねられていく様を、最後まで固唾を呑んで見続けました。
物語の終盤で「百年」とは人喰いと人間が「相思相愛になるまでの時間」であることが明かされ、そこで断絶を越えて理解し合った相手とどういう関係を結ぶのか、彼等はアイデンティティの認識を迫られます。結果、人喰いの妖ラー・ラム・デラルは、「食べる」はずだった少年チキタと共に居続けるため壮絶な転生の苦しみを経て人間になり、後にチキタの妻となり子供の母となり、新たな命を産み育てます。また、平行して描かれてきた人喰いオルグと少年クリップの選択は、クリップが妖となってオルグと共に行くというものでした。ラーは人間となり異性愛的なセクシュアリティを選び、クリップは妖となって、『犬身』の表現をお借りすれば「妖セクシュアリティ」とも呼べる自我を選び取りました。そして、そんな彼等を見守り続けてきたキャラクターが彼等に「会えて良かった」と語りかけて物語は終わります。
生と死と罪と贖罪を容赦なく描きながら、すべての選択に「会えて良かった」と語りかける、優しいジェンダー・ファンタジーに心から魅了されました。

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