井辻朱美(白百合女子大学教授、翻訳家、歌人、ファンタジー作家)
《候補作品メモ》
今回の五作品、いずれもそれなりの起爆力があって、濃密な読書(鑑賞)時間を過ごすことができました。わたしはジェンダー問題については、かなり音痴(音痴というのは、内的モチベーションが稀少なので、その学問分野の本を読んでも頭でしかわからないということ)の人間ですが、神話的レベルでの女性性、男性性の問題として、また純粋に身体論の問題として、いろいろ触発、啓発されるところがありました。
このような機会をいただけて、とてもよかったと思います。ありがとうございます。以下に各作品への感想を記させていただきます。
〈森奈津子短編〉『からくりアンモラル』『電脳娼婦』『ゲイシャ笑奴』
最初の印象は、どれも既視感があるということでした。あまりこういうジャンルを読むほうではないのですが、寺山修司や渋澤龍彦を通じて、少女(の、への)残酷な愛のようなものには触れていたようです。「電脳娼婦」「あたしを愛したあたしたち」にはその既視感がなく、かつひねりとオチがきいていたように思います。
少しものたりなかったのは、どの個体のボディも同じように書かれていることです。短編にそれを求めるのはお門違いかもしれませんが、個人が立ち上がらない気がしました(そういう場合、身体性がほんとうに描かれているのでしょうか。美少女フィギュアの素体をたくさん見せられているような感じでした)。ほんとうに性的な身体を描くのだったら、もっとその人物の内面と結びついた特徴的な(形態でも特質でも)身体でもって描いてほしい気がしました。
☆それと連動しますが、エロティックなシーンが、より大きなドラマの一部として構造化されていない、まわりの物語が見えてこないとも思いました。それが見えるのも上の二作です。くりかえしますが、短編ですし、それを描くのを目的としていないかもしれない、器官的ポルノに徹するつもりかもしれないですね。
でも高原さんに選考会のとき「これ、全部SMだよね」と言われて、こういう関係や状況にいたる人たちの前歴や内面、社会設定などまわりの物語がもっと暗示されればよかったと思ったのは、それもあったのだと気づきました。
粕谷知世『アマゾニア』(中央公論新社)
女性ばかりの種族の、優しく、自然にのっとった生活様式を描いて、男性主導のヨーロッパ物質文明のネガにする、というところから始まり、修正(矯正)された男性性との融和に至る、という展開は、予定調和的かもしれませんが、それ以外の展開はこの長さではストレスになるのではないでしょうか。特にヘテロな読者にと っては、ここで描かれるスペイン人ヘレスのような無自覚で図々しい男が、女たちの視線の中で「最低」から、「〈森の鳥〉の思い人なんだから、いいところがあるのかも」というふうにゆらぎながら変化していって、最後にはちょっとお茶目で獰猛な動物的な形象に(女たちの目の中で)おちつくのはとても愉快です。〈泉の部 族〉(アマゾニア)の女たちが、男に慣れていったというのか、学んでいったというのか、女たちのほうも変化してゆき、もちろんヘレスをふくめた他部族の男たちも変化してゆき、双方の視線の交わるところに新しい世界観が生まれて終わるラスト、というふうな、捉えかたができるのではないでしょうか。何かゆらがない軸を立てて、そこから世界を逆照射するのではなく、〈泉の部族〉も、ヘテロな他種族も、またマチズモな騎士物語を信奉するスペイン人の男たちも、相手の視野や世界観の中に自分を置いてみることで変わっていき、さいごに全体が新しい調和的な世界観に浸される。そういう異文化衝突の物語としても、おもしろく読めました。
さらにこの物語は、そういう神話的な骨格を支えるリアリズムのディテールにも優れています。匿名の「自然」ではなく、立体的で生命観にあふれた南米の自然をゆたかに描きこんだところが、お手柄だと思います。
その二点で、本作を大賞に推したいと思いました。
なお中性的な赤弓のキャラクターはもちろん魅力的ですが、守護精霊のはずの〈森の娘〉が、恋にやぶれて自殺した小娘だったというところが、わたしは好きです。どーしょーもない(と他の女たちからは見える)男に、過去の恋人の生まれ変わりだと身も世もなく入れあげている姿は、ある意味痛烈に「女性性」の本質(愚かさとないあわさった崇高性)を描きだしているようにも思えました。
映画『下妻物語』(中島哲也監督作品)
不勉強でいままで嶽本野ばら作品をちゃんと読んでいませんでした。
映像の中のふたりの少女が有無をいわせぬほど魅力的で、ひたすら脱帽です。少女的なるものを、ここまで浸透力をもってフィーチャーできているのはすばらしい。大島弓子的な意味で十分SF的だと思います。独特の童話的な光の中で展開する画面は、どのシーンもとても愛しく思われました。
川原泉『ブレーメンII』全五巻(白泉社)
どこがジェンダー文学だか最初よくわからなかったのですが……川原泉ならではのメタのセンスや、多重視点的な見方や、絶妙なタイミングでSD化するキャラクターたちのかわいらしさや、すべてにおいて川原イズムに満ちた作品です。スティルスーツ(これって、『砂の惑星』に出てくるアレ?)を着ると、雌雄の比率がめちゃくちゃ非対称な宇宙人のメス(ラージ・グレイ)にそっくりになり、無数のオスに慕いよられてしまうエピソードが一番おかしかったのですが、ものいう動物(ブレーメン)=女性をふくむマイノリティ、と読みとけばよいという大串さんのご指摘に納得しました。
それにしても川原泉が創始者でもないし、彼女だけが多用するわけでもないとはいえ、キャラクターの突然のSD化、顔のデフォルメ化とむちゃくちゃなくずれ方、というあの〈二次元世界への自在なスライド〉が彼女の世界の根幹をなす魅力ではないか、それについてはもっと考えてみたい、と思っています。あの別次元へのずらし、ふたつの次元の往還こそが日本のマンガの、そしてネオ・ファンタジーの真価なのではないだろうか…?
小谷真理『エイリアン・ベッドフェロウズ』(松柏社)
これを推すのが、この賞のもっともまっとうな選考ではないかという気がします。ただし、批評なのだから当たり前といえば当たり前、中身もはまりすぎかもしれません。それなら「特別賞」などはどうかと思い、結果、選考会でもそのようにおちつきました。
項目別に未訳作品を紹介していく方式が、とても読みやすく、わたしのような音痴が読んでも、ああ、そうか、と膝を打つこと数えきれず。このジャンルを語れるのは、この著者しかいない、という意味でも、今回の顕彰は必要であると思います。