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2003年度 第3回Sense of Gender賞講評

風野春樹(精神分析医・SF書評家)

 あいかわらず、ジェンダーが何なのかよくわかっていない風野です。

 今回は、たいへん申し訳ないことに、結局ノミネート作中、『ヴァルキュリアの機甲』を読むことができなかったため、棄権とさせていただきました。
自ら票を棄てた者がわざわざ長々と語るのも妙かとも思うのですが、いちおう自分の選考委員としての立場について語ってみます。
私としても、自分が選考委員を務めていることに疑問を感じないわけではないのですが、選考委員中唯一の男性である私の役割は、と考えてみるに、それは今のところ女性が中心メンバーになっているジェンダーSF研究会を引っ掻き回すトリックスターなのではないかと思うのです。
私としては、この会と賞が「フェミニズム」ではなくて、「ジェンダー」の名を冠していることを重要だと考えています。どうしても女性中心になってしまいがちで、何やら戦闘的なイメージもあるフェミニズムではなく、両性に開かれたジェンダー。つまり、女性性だけではなく男性性も(もちろんSFであるのだから、男性女性以外の○性性でもかまわない)ともに扱い、しかもSFとしてのセンス・オブ・ワンダーを感じさせてくれる作品。それが「センス・オブ・ジェンダー賞」にふさわしい作品なのではないか。私は、それを重要な評価基準にしたい、と考えます。

 今回は残念ながらトリックスターとしての華麗な活動はできませんでしたが、また次の機会がありましたら、存分に引っ掻き回したいと思ってますのでそのときはよろしく。

 さて、それでは各作品について簡単にコメントを(棄権しながら作品について語るのは矛盾しているという批判もあるでしょうがご容赦を)。

 まず、『マルドゥック・スクランブル』に関しては、すでにSF界で高い評価を受けている作品ではあるけれど、センス・オブ・ジェンダー賞の候補作と言われてちょっと虚をつかれました。私にとって、この作品は何よりも圧倒的に熱い筆致で語られる人間の再生の物語であって、ジェンダーという視点では読んでいなかったのです。SFセミナーの席上でジェンダー的な読み方を示され、言われてみればなるほどとは思ったものの、男性、女性を超えた人間の物語であるという当初の印象にはかわりありませんでした。

 続いて、『水晶内制度』については、私には評価不能というしかありません。確かに情念に満ちた小説ではあるものの、その情念があまりにも突出しているがゆえに、私にはついていけず、この作品についてはどうも面白さがわからないのです。これはもう申し訳ないとしかいいようがない。

 『サウンドトラック』は、トウタとヒツジコという二人の兄妹が、それぞれに近未来東京でサヴァイヴし、東京を手に入れるまでの物語です。二人それぞれの東京との戦い方の違いに加え、場に応じて性を使い分けるレニの存在が物語を引き締めています。が、ジェンダーの攪乱という読み方からすると、少し弱い印象があります。

『大人は判ってくれない』は、やおい論の部分は門外漢にもわかりやすく書かれており、目を開かされたのですが、エヴァ論の部分で、トンデモとして名高いR.D.レインだけを頼りに分裂病を語っているところについては、精神科医としてはちと(いやかなり)ツッコミを入れたいところ。この点は純粋に評論として読んだ場合はマイナスポイントですが、同人作家が二次創作に仮託して自分を語るように、評論という形式を借りて自分を語っていると考えれば、特に問題にするにはあたらないのかもしれません。

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