柏崎玲央奈(SF書評家)
大賞として『水晶内制度』を選びます。
また今回、初めて評論が入選したことから、特別賞として『大人は判ってくれない』を推薦したいと思います。
『マルドゥック・スクランブル』冲方丁(ハヤカワ文庫JA)
偶然、強大な力を手にしてしまった少女売春婦が、自分の復讐心と戦いながら、その力をよりよきことに使っていこうとする成長物語。バロットは、ウフコックらの指導を受けながら、知り合った女性をロールモデルとして自立してゆく。ただ、その部分は少々ご都合主義なところも感じる。総じて女性の方がロールモデ
ルが少なく自立は困難になる。女性のやることは表面に現れない、社会的に評価されない、不当に蔑まれるなどのケースが多いからだ。しかし、それも本書ではふつう蔑まれている職業についている女性も優れた人格を持つと描かれていることを評価するべきかもしれない。
女性のバロットはよき市民となったが、同じような課程を経て男性のボイルドは暴力と破壊を望んだ。それはなぜなのか。SFセミナーの合宿企画の場では、少女の方が助け起こす手が多い、女性の方が(おそらくは再生産という意味で)有用だから、逆には男性の方が使えないから(再生産という意味では使い捨て)……などの理由が上がった。その辺りのジェンダー的な差異がもうすこし描かれてたら……と、少々残念にも思った。
『水晶内制度』笙野頼子(新潮社)
日本国内に作られた女だけの国ウラミズモを通して、現代日本社会に潜む女性差別の構造を暴く。しかし、ただの裏返しでは終わらない。女性と男性の非対称があらわになる。 たとえば、女性というジェンダーは大部分が偶像であるのに、男性はそれに沿わない女性を女性でないものとする。しかし、女性の方は男性を偶像化することは、本当のフィクションなのだということをすでに知ってしまっている。その悲しみはただ自分のうちにたまっていくだけなのだ。
ほかにも、夢という要素、美しさの基準、女性自身が女性を差別する悲しさ、この世にはいない「男」という偶像を求め続けるせつなさ……女性でなければ描けないこまやかさに感動した。
『ヴァルキュリアの機甲I~IV』ゆうきりん(メディアワークス電撃文庫)
戦うためだけに作られた身長10mの女性たち。彼女たちは、現実の女性のモデルとなる。最初は、薬漬けにされ、必要のないときはただ眠らされる。しかし、彼女らを戦わせるために、恋愛を利用したり、ファッションでアイドルに仕立て上げたりする。敵の同じ身長の男性には、生殖のための道具として利用される。力を持ってしまった彼女たちが真につかむ幸せはあるのか? ほかの惑星に移住するという結末は、ティプトリーを思わせて悲しい。
『サウンドトラック』古川日出男(集英社)
トウタとヒツジコ、そのふたりがそれぞれの方法で近未来の追いつめられた東京を破壊していく。トウタは男性的に、気に入らないものを暴力でどんどん排除していくのに対し、ヒツジコのダンスは、破滅するしないは個人の資質に還元され、自然の「淘汰」のように振る舞う。ダンスの多様性さえも許容する。その差は果たしてジェンダーの違いによるのだろうか?
『大人は判ってくれない』野火ノビタ(日本評論社)(ノンフィクション)
同人誌活動も行ってきたプロの漫画家によるやおい論。女性の女性による女性のための男性同士の恋愛を描いたこの不思議なジャンルは、市場的にも大きな広がりを見せ、また同時多発的に世界でも生じている。だが、いまだに総合的な分析がなされたことがない。
本書には、心理学的な病名などをつけることなく、個人的なセクシュアリティが真っ向から語られており、同じやおいが好きな女性たちの共感を呼んだ。
ジェンダーによって、いままで自らのセクシュアリティをあらわにすること禁じられていた女性はやおいというツールを得て、解放されつつある。しかし、やおい同人誌を作っている女性が著作権法で逮捕されたり、児童ポルノ法など施行されたりしている現在、やおい好きな女性たちは、また自らのセクシュアリティを隠さなければならなくなっているのだ。この勇気ある一冊が、この分野の研究のフロンティアとなることを期待したい。