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2010年度 第6回Sense of Gender賞 海外部門最終選考作品

ダン・シモンズ「ケリー・ダールを捜して」(『へリックスの孤児』収録〉
酒井 昭伸、嶋田 洋一訳〈ハヤカワ文庫SF〉
Dan Simmons, Looking for Kelly Dahl

ダン・シモンズ「ケリー・ダールを捜して」(『へリックスの孤児』収録〉

内容紹介(「BOOK」データベースより)

永住の地を求めて旅立ったヘリックスの民は、400年後にアウスターからの救難信号を取け取ったが…現代SFの頂点を極める“ハイペリオン”シリーズの後日譚を描いてローカス賞を受賞した表題作をはじめ、古典的人類の最後の日々を描く“イリアム”シリーズ前日譚「アヴの月、九日」、傑作異次元SF「ケリー・ダールを探して」など、本邦初訳を含む5篇を収録し、当代随一のオールジャンル作家の魅力を凝縮した傑作集。

福島一実(カフェ・サイファイティークスタッフ、ジェンダーSF研究会会員)

「ケリー・ダールを探して」を読んで

全体像を。それ以外はすべてが不毛の荒野だ(序文にある言葉、ジョン・ファウルズ作「ダニエル・マーチン」より)

作者は前書きで、この作品はありふれた軽いロマンチック・コメディだと説明しているが、それは全く逆説的な表現だと思う
各章ごとに明暗対照法、残存形象、末梢再加筆、変改と、絵画や詩篇の技法名称が付けられているのが、その暗示だろう。

ある存在の一部のみを知るのは、それをばらばらに引き裂くような行為に等しい
モナリザの肖像画の一片だけを見て、ダ・ヴインチが表現しようとしたものを理解することなど出来はしない。
何かに対峙する時は、その全てを受けとめなければならないのだ、お気に入り部分だけをつまみ食いして
その存在を味わったつもりになるというのは、あまりにも愚かだろう。
恋愛や人生も同様に、その喜びや楽しさだけを受容し、苦しみや悲しみを拒否するのは意味がないと
この作品全体で、作者がそう主張しているように私は感じる。

ここではない何処かに行ってしまいたい、何もかもが思い通りにならない時、我々はそう望むことがある。
自分を理解せず、苦しめたり悩ませたりする煩わしいだけの周囲から、遠く途絶された何処かに行きたい、と
その何処かとは、たとえば本に記されたお伽の国だったり、ゲームの中の理想郷や戦場や未来世界だったりするし
または、薬やアルコールの酩酊の中や、自らの妄想の中にある隠れ家だったりもするが、それらは結局はこの世界の中に在る。
しかし、我々の中には本当に違う世界に行ってしまう者もいる、あの世、彼岸、天国、極楽、来世等
呼称は色々とあるけれど、周囲の者の手が届かない世界へと自ら行く者の数は少なくはない。
この作品の主人公であるジェイクスも、ある日、その決意をした。
彼の過去は、ベトナムでの軍隊勤務後の二六年間を良き教師として生きてきた。
良い教師には二種類あって、「教壇の賢者」タイプもしくは「同行する案内人」タイプ
ジェイクスは前者で、自分の持つ知識や事実や興味を、教え子の空の容器に注ぎ入れるという教師だった。

しかし、数年前に自分の運転する車の事故で一人息子を失い、それが元で妻とも離婚し
半ば自暴自棄となり酒浸りになったジェイクスは、その結果として教職をも失った
現在の彼は、アルコール中毒の無気力な中年失業者だ、この世界に未練など何も無い
そんな彼が選んだ自死の方法は、不慮の事故に見せかけた、山中の廃坑への車ごとの飛び降り。
決意後、もはや恐怖すら感じず、躊躇いもせずに彼は自らの決意に従って行動した。

気が付くと、確かに彼は違う世界に存在していた、しかし、そこは死後の世界などではなく
彼のかつて教え子であったケリー・ダールの創造した世界だった。
貧困な家庭、離婚後の実父からの暴力、母の育児放棄、義父からの性的虐待
聡明で繊細な子供の環境としては、およそ最低な場所で育った彼女にとって
ジェイクスと共に学んだ、小学校の6年生の時期だけが唯一幸福な時間だったが
高校在学中の義父による母親の殺害事件に伴い、17歳だったケリーも失踪、そのまま行方不明となり
ジェイクスはかつて印象的な教え子であった、ケリーの存在すら忘れかけていた。

ケリーの創造した世界には、ジェイクスから学んだ地学や生物学や環境学、歴史や建築が様々に反映されていて
人類は全く存在せず、時間は古生代から現代まで、季節や地形もケリーの恣意的に変容する。

ジェイクスは彼女を捕まえて殺せば元の世界に戻れるという、ケリーの指示に従って
この世界の案内人(ガイド)となったケリーを追い、日々様相を変貌させる世界を何か月も巡り続けるが
ケリーの世界では何もかも彼女の掌の中、ジェイクスの思考も行動も完全に把握され、出し抜くのは不可能だと思われた。

そんな状況下でジェイクスがケリーを見つけて捕まえることが出来たのは、彼が偶然に道に迷ったためだろう
ジェイクス自身すらも思いがけずケリーに遭遇した途端、それはお互いの殺し合いとなったが、その最中に二人は変容する。
銀河の衝突では、重力の相互作用でお互いの渦を永久に変化させながら、実際に星と星がぶつかることはない
そんな細胞単位での融合よりもっと微細単位での変容、ジェイクスとケリーという二人の完全な融合だった。

気が付くと元の世界に戻っていたジェイクスだが、そこではケリーという存在が完全に抹消されていた
健康も教職も取戻し、ほぼ元通りの生活を営むジェイクスだったが、いまやケリーは自分の中に存在していることを知覚していた。

別の人間との思いと心と記憶を共有するということ、つまりケリーの全てを移したジェイクスにも世界の創造は可能だろうし
融合した2人には決して別離は訪れず、一つの世界を完全に共有することも出来るだろう。
最後にジェイクスが戻ったケリーの待つ世界、モン・サンミシェル城が建つジュラ期のフラットアイアイン山地
もしかしたら、この世界はジェイクスの創った世界かもしれない。

※福島一実氏の詩のような文体を味わっていただくため、特殊な改行ですが、原稿をそのまま収録しています。

大串尚代(慶應義塾大学文学部助手、ジェンダーSF究会会員)

小学校教師・高校教師を長年勤めてきた語り手ジェイクスは、あるとき目を覚ますと、突然まったく見慣れぬ場所にいた。いや、正確に言えば見慣れぬ場所ではなかった――よく知っている場所の、よく知らない時代にいたのだった。そこで彼は元教え子であったケリー・ダールになぜか命を狙われていることを知る。ジェイクスは彼女がなぜ自分を執拗に狙うのかわからないままに、「自分を見つけて止めれば何だって手に入る」という彼女の言葉を頼りに、応戦せざるをえなくなる――たったひとりで。

物語としては、義父による性的虐待を受けていた少女ケリー・ダールが、ジェイクス先生にわかってもらおうとしながらそれができず、その後時空を超えた場所に逃げ出そうとする――その際、自分の痛みをわかってくれなかったジェイクスに対するある種のこだわりをみせた…というものかなと思うのですが、ケリーとジェイクスが持っている心の深い傷が感応しあっているように思え、哀しいなあと思いながら読んでいました。ジェイクスは自分の運転中の事故で息子を亡くし、アルコールへとおぼれていく。ケリーは義父(およびその義父の行為を黙認する母)の犠牲になっていく。

印象に残ったのは、ケリーとジェイクスが重なったあと、ジェイクスがケリーが経験したこと(義父によるレイプ)を追体験していく場面です。また自然をめぐる描写(エコ・ウィークの描写や、平原や、ラストの恐竜が出てくるところなど)によって、大きな広がりを感じる作品でもありました。

ただし、ジェイクス先生にダールがこだわる理由が、いまひとつ明確ではなかったような印象がありました。

訳のせいもあるのかもしれないのですが、静謐で透明な感じのする作品でした。折りにふれて読み返したい作品です。

おのうちみん(Webデザイナー、ジェンダーSF研究会会員)

シモンズはやっぱりストーリーテラーでおもしろい。「ケリー・ダールを捜して」も徐々に状況がわかってくる展開が引き込まれる。彼は女性を書くのがうまい男性作家だと思う。この世界から逃げ出しても、たった一人に覚えていてもらえればいい、というはなんとも切ない。よい短編だが、SOGにはちょっと違うと思った。

気になったのは、死亡事故で運転手酒気帯びでも執行猶予+免停ってあんまりにも軽すぎないか? という点。被害者シートベルトなしだったのかもしれないが、それにしてもアメリカのコロラド州は飲酒運転にそんなにぬるいのか?

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