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2022年度 第22回Sense of Gender賞講評

柏崎玲央奈(ジェンダーSF研究会会員/SF書評してた)

白川紺子『後宮の烏』全7巻〈集英社オレンジ文庫〉は、宦官と女官が仕える帝と妃たちが住まう後宮を舞台とした、架空の中国風の少女小説だ。後宮にまつわる幽鬼の謎を〈烏妃〉という夜伽をしないとくべつな妃がその知性と技術で解決していく。

読み進めていくうちに、楽しくカタルシスのある推理ファンタジーだったものが、あれよあれよという間に壮大なものがたりに変化していく。特殊な能力をもった特別な妃が、自分という存在、そして後宮の謎、世界のなり立ちにまで迫る展開に圧倒されたが、それ以上に感じたのは泣きたくなるような爽快さだった。まるでどこまでも続くような青い空を見上げたときみたいな。それは紛れもなく、女性たちが知力を得て、世界を広げていった姿そのものだ。クライマックスで、烏妃が最後の境界を踏み越えるときの恐れや痛み、そして女性たちの屍が協力する場面は圧巻だ。後宮という男性社会を成立させてきた共犯の両輪であり、けれど抑圧されてきた女性たちの慟哭、あとに続く女性たちに分け与える優しさに、涙が溢れて止まらない。壮麗で美しい中華ファンタジーの外観に内包される凄絶な女性たちの生き様に、今年度の大賞を捧げたい。

個人的には、雪山や噴火などの描写の科学的な正確さやその使い方に魅了された。ファンタジーではあるが、きちんとしたサイエンスに裏付けされた、まさにセンス・オブ・ワンダーだ。

こうした作品がアニメ化され、ひろく受け入れられていることも、とても頼もしく感じる。最後に帝と烏妃が選んだふたりの絆が、どういうものであったのか、ぜひご自身の目で読んで確かめて欲しい。

フェミニズムは現代も色あせるどころか、ますますその必要性を高めている。母体の血液検査のみで診断できる新型出生前診断(2011年開発)と、それに伴うと思われる出生率の低下中絶の上昇、堕胎禁止。リプロダクティブ・ヘルス/ライツを手に入れようとしていた時代に逆戻りだ。

菅野文『薔薇王の葬列』全17巻〈秋田書店プリンセス・コミックス〉にもリプロダクティブライツを駆使する「魔女」たちが描かれている。両性具有であったという大胆な設定をもつリチャード三世は、くり返しジャンヌ・ダルクの幻影を見るが、彼女は「魔女」の象徴だ。本作の「魔女」は堕胎薬をつくり密かに女たちに配って生殖をコントロールさせている。リチャード三世彼/彼女もまた自身の性愛に目覚め、けれど王としての生きることを決意し、堕胎を選択するのだ。女性から女性へ渡され続ける生のバトンを、われわれは本当にいつかコントロールすることができるようになるのか。本作も少女漫画誌掲載であり、アニメ化もされていることに希望を見いだしたい。

大胆な設定で言えば高野史緒『カラマーゾフの兄妹 オリジナルバージョン』〈盛林堂ミステリアス文庫〉は、面白くないわけがない。特別捜査官になって帰ってきた聡明な次男イワンが、『カラマーゾフの兄弟』で起こったカラマーゾフ殺人事件の謎を解いていく痛快なミステリが……あれよあれよというまに、多重人格? アブダクション? 「本当にそうであった」かのような謎解きまで一気に駆け抜ける。興奮を駆動するのは、暗渠を利用したマイクロ水力発電で階差機関を動かし、ロケットを飛ばす、大胆な展開だ。蒸気機関ではなく、水力が支配するハイドロテック・パンクを見てみたくなった。

江戸川乱歩賞を取ろうと考えて当然のように取るのも凄いが、削らざるを得なかったSF部分をあきらめずに出版する、その胆力がもっと凄い。ここまで作者の寵愛を受けるSFというジャンルの僥倖を想う。

来るまで引けばガチャの確率は100%という迷言があるが松崎有理『シュレーディンガーの少女』〈創元SF文庫〉は無限に分岐していく世界で幸いを探すものがたりだ。

私事で恐縮だが、某女性向けアプリゲー内のミニゲームに、アイドルが次にする表情を2分の1の確率で選ぶというものが期間限定であり、何連続できるかを全ユーザー参加型で競い合っていた。完全ランダムで心折れるおたくが続出。その現実から目をそむけるようにTwitter(当時)に必勝法だのオカルトが発生したが、それも過酷な現実の前に次々廃れていく。失われる希望、絶望が襲う中に、燦然と現れた最高記録は24連続。1700万分の1の確率だ。そりゃ生物も発生するしヒトに進化もするし猿もタイプライターでシェイクスピアを打てる。新聞紙も二つ折りにしていけば富士山の高さに到達できる。9連続で敗北した俺は偶然という自然現象にただただ頭を垂れるのみだ。

だが、そんな偶然を待たなくても、多世界のうちの最良はいまここに存在する。そこにある「それ」を描けるのは、フィクションだけに許された特権だ。カワイイ×テックを暴力的に駆使して描かれる、この奇跡の星の少女とフレンドAI、ふたりがたどり着いたさきを、偶然読める奇跡に感謝したい。

「十分に発達した科学技術は魔法と区別がつかない」という言葉があるが、いま十分に発達した科学技術は日常そのものになる。映画『PLAN75』(早川千絵監督作品)で描かれたのは、派手な演出も爆発もないけれど、間違いなく未来であり、SFだった。高度な医療技術がわれわれにもたらすのは希望なのか絶望なのか。技術に社会と心は追いつくことができるのか。

社会がもたらそうとした死から逃れ、ふと見上げた空に彼女が見たのは最高の夜明けだった。

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