ジェンダーSF研究会 The Japanese association for gender fantasy & science fiction
ジェンダーSF研究会 > Sense of Gender賞 > 2021年度 第21回Sense of Gender賞 > 青井美香(フリー編集者、ジェンダーSF研究会会員)
2021年度 第21回Sense of Gender賞講評

青井美香(フリー編集者、ジェンダーSF研究会会員)

※文中のルビは[]で囲ってあります。

暴力とも子『VRおじさんの初恋』(一迅社)

世界の終わりをただそのまま静かに眺めていたい……。

運営側が半年後にサービス終了を宣言した過疎化するVR世界のなかで、ナオキの願いはその世界の最後を見届けることだった。なのに、むっちり豊満ボディに半裸同然の衣装をつけたVR初心者ホナミと出会ったことから、ナオキの平穏なVR生活は思いもよらぬほうに転がりはじめる。

ロスジェネ世代まっただなかのナオキは派遣社員の汗かき中年おじさん。少女のアバターでVR世界をさまよう、いわゆるバ美肉おじさん(?)ではあるけれど、VR初心者ホナミになつかれ、生来の人の良さからホナミの相手をするようになり、いつしか現実世界にもその影響が……。

最初、絵柄があまり好みに合わず(すみません、わたし、絵柄が合わないと、物語にノれないくちなんです)、なんとか読了したものの、感想もあまり出ず。でも、選考会でほかの方々の意見を聞き、何度か読み直してみて、ようやくわかってきたことがあります。

これ、世界の終焉というけっこう大きなSF的設定と、初恋相手の喪失という個人的な設定とが重ね合わさっていて、ダブルミーニング的にけっこうイケている作品だったのです。そこのところをちゃんと読み取れなかったわたしは不覚というしかありません。

ただ、なんで男性はアバターを女性にする率が高く見えるんだろうという問題(?)が作中では解決されてなくて、そのあたりも含めて、もうすこし描きこみしてくださればよかったのになぁという思いは残りました。

よしながふみ『大奥』全19巻(白泉社)

日本SF大賞を受賞した、言わずと知れた名作。ここで、わたしが付け加えるべき言葉はすでに言い尽くされてしまって、ほとんどないといってもいいほど。

それでもなお、この作品が、SF的にもジェンダーを考えるうえでも素晴らしい作品であるということを言わずにはいられない気持ちになりました。

なぜなら、日本SF大賞をとったにも関わらず、『大奥』ってSFなんですか?という疑問の声があるのを知ってしまったからです。

美女のかわりに美男子を何百人とはべらせ、そのなかを悠然と闊歩する女将軍というイメージは強烈で、漫画を読まない方にはストーリー自体もそれに沿ったものだと思われてしまっていますが、『大奥』はSFです。

歴史改変SFであり、エピデミックSFであり、ジェンダーの概念に鋭く切り込むジェンダーSFであります。

江戸時代初期、徳川家光が将軍の頃、日本全国で猛威をふるった流行り病、赤面疱瘡[あかづらほうそう]は男子だけが重篤化し死亡率もきわめて高かった。百姓、商人、いたるところで跡継ぎや働き手である男子が亡くなり、名だたる大名家のみならず、将軍の嗣子すらその病から逃れることができず。そこで苦肉の策として編み出されたのが、女性を将軍として擁立することであった。

女将軍の仕事は、すなわち、政[まつりごと]を司[つかさど]ること、跡継ぎをなすこと。この二つの両立を迫られた彼女たちの苦悩はそのまま現代日本へとつながるのです。

十六年半の連載ののち、全十九巻で完結した『大奥』は、ありえたかもしれない江戸時代、女将軍を頂点とする大奥を中心に生き生きと描かれ、「血」を絶やしてはいけない生殖の軛[くびき]と、赤面疱瘡に立ち向かう人間の叡智と、男と女、女と女、男と男の愛憎の物語。すぐそこにありえたかもしれない過去が、いま現代の日本へとつながっている――全世界的なパンデミックの大波に襲われているいまこそ、『大奥』は読まれるべき作品なのです。

付記
よしながふみのインタビュー本『仕事でも、仕事じゃなくても』(フィルムアート社)を読むと、『大奥』を描こうと思ったのは、女性が仕事をしていることがふつうの社会を描きたかったからなのだとか。女将軍がプロフェッショナルとして生きようとするさまが魅力的なのも、むべなるかな。そしてこのインタビュー集で、「徹夜はしない」「長くプロでいるために、おのれの健康管理をしっかりする」「次のお仕事がいただけるように、締切は守る」ということを若いときから実践されていたことがうかがえて、さすがぁとうなずくばかり。プロフェッショナルの権化は作者ご本人でありました。

高野史緒『まぜるな危険』(早川書房)

むかし、水彩絵の具を混ぜて混ぜて何色になるのか、やってみたことはありませんか? どんな色でもたくさん混ぜると、なんだかわけのわからない、どす黒い色になってしまいましたが、『まぜるな危険』では、古今の名作を混ぜるとなぜかSFになることが立証されました。

というわけで、こちらの短編集、基本になっている本家本元の作品の素養がなくても、最後がどんどんSFになっていくので、とても楽しく読めました。

なかでも一番好みだったのは、「アントンと清姫」でしょうか。

モスクワに実在する鐘の皇帝[ツアーリ・コロコル]に安珍・清姫伝説をからませた、なんともいえない短編です。上野公園の満開な桜を背景に、ありとあらゆる色柄の振袖の女性が踊り、動物園のゲートの上に設置された巨大ディスプレイでは、クレムリンでは舞う白拍子。見守る群衆が次第に狂騒的となるなか、ラトヴィア出身の青年オレグスは信じられないものを目撃する……。

このラトヴィア出身のオレグスくんが、Twitterでよくtweetを拝見するラトヴィア出身の方となんとなく似ているようにも思えてきて、どんどん現実と創作世界との境界線があいまいになっていく酩酊感が心地よい。

っていうか、コロナ禍も三年目に突入し、心のどこかがつねに鬱屈するレベルになっている人間にとって、めくるめく色彩のなかで踊り狂う群衆の姿を見ていたい、なんなら自分も参加したいという思いがこみ上げてきて、この作品が一番好きだぁという高揚感につながるのでありました。

逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房)

第十一回アガサ・クリスティー賞を受賞し、単行本となって世に出るや、直木賞の候補作となり、高校生直木賞と本屋大賞を受賞、ベストセラーとなった『同志少女よ、敵を撃て』。正直、第二次世界大戦の独ソ戦を舞台にしたこの作品を読むとき、なじみのない地名がハードルになるかもと思っていたのですが、そんなことはありませんでした。

キエフ(キーフ)、ハリコフ、セヴァストポリ……知っている、知っている、見知った地名だ……そう、2022年2月、ロシアのウクライナ侵攻の報から、ニュースを埋め尽くすことになったウクライナの地名。わたしがソ連として認識していた地名の少なからずはウクライナの地名だったんです。歴史となったと思っていた過去が今この現実と地続きであるということの重さが頭にズキンと刺さった瞬間でした。

ドイツ軍に村を全滅させられ、ただ一人生き残った少女セラフィマはソ連のスナイパー養成部隊に入隊。そして一流のスナイパーとなった彼女は、過酷な戦場に身を投じる。生き残るために、彼女はどこまでたくましく、そしてしなやかに、したたかに、決戦の時を迎えるのか?

ひとつひとつの細かいディテールの積み重ねがすごくて、いつしか自分も少女セラフィマが体験する戦場にいるかのような気にさせられます。どんなにつらい経験に襲われても、彼女は自分の頭で考え、そこにとどまることなく、未来に向かって疾走していきます。

エピローグにたどりつくまで息つくまもないストーリー展開にどんどん呑み込まれ、ページを閉じたときにふと我にかえって思うのです。

いまこの瞬間にもかの地ではセラフィマが両方の側に存在しているのではないか。なぜなら、ロシアにとってもウクライナにとっても、いま進行しているのは「大祖国戦争」そのものなのだからと……。

大串尚代『立ちどまらない少女たち─〈少女マンガ〉的想像力のゆくえ─』(松柏社)

自分がどっぷりつかっているものって、なかなかよくわからないものです。あまりにも自然に身近にあったがために、そのことに関する考察なんて考えたこともなく、「え、だって当たり前じゃない?」という感想しか出てこない。

わたしにとって、外国文学との接点からはじまる戦後の少女文化はそんな存在でした。

戦前から日本で翻訳されていたアメリカの女性作家による小説から、戦後のアメリカを中心とする文学、映画、文化がどのように日本の少女文化に影響を与えたかを読み解く第一部、そして少女マンガが一気にメジャーになった70年代から80年代の個別の少女マンガ家、作品をとおして、日本の少女マンガが破天荒な想像力に裏打ちされて、なんでもありの世界へと羽ばたいていくさまを描く第二部――読了し、「ああ、そうだったんだ」という自分のなかでの納得感が半端ありません。なにより、取り上げられている作品を読んでなくても、過不足なくまとめられたあらすじで、こちらの理解力を上げてくれる親切さ。じつは本作で取り上げられている不朽の名作『キャンディ・キャンディ』を読まなかったわたしも、「こういう作品だったのか」とようやくわかりました。

立ちどまらない少女たちの歩みはこれから先もどんどん続いていくので、できるなら21世紀になってからの少女マンガ作品の紹介とか、その作品が少女文化に及ぼす影響とかを読みたいですが、それはまた別の論考でまとめられることでしょう。

でもそのまえに、あとがきで書かれていましたが、作者の内田善美論を読みたかったぁ。デビュー作「なみの障害物レース」を初めて読んだときから、内田善美の作品はわたしの心のなかで、あの時代の少女マンガの金字塔のひとつなのです。

ツイート
シェアする
ラインで送る
はてなブックマーク