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2015年度 第15回Sense of Gender賞講評

柏崎玲央奈(SF評論家、ジェンダーSF研究会会員)

「やおい」という言葉は、何故かいまやすっかり廃れてしまったので、BLという語を用いるが、「女性の女性による女性のための男性同士の恋愛を描いた作品群」であるBLは、女性たちの間にしっかり定着し、世間にも認知され取り上げられつつある。しかし、TwitterとFacebookでの腐女子存在率の差を見てもわかる通り、まだ大っぴらには語ることのできないジャンルでもある。だが、その創造性はジェンダーSF研究会としては避けて通れないものだ。2007年特別賞の寿たらこ『SEX PISTOLS』同年最終選考作品の木原音瀬『WELL』2013年最終選考作品の明治かな子『坂の上の魔法使い』 など、いままでもBL作品がノミネートされ、受賞してきた。

今回最終選考にあがったのは、妊娠出産が見られるBLだ。

yoha『さよなら恋人、またきて友だち』は、昨年からセカンドシーズンを迎えた、ふゅーじょんぷろだくと企画したアンソロジー・オメガバースプロジェクトから単行本にまとまった作品だ。

オメガバースとは、アメリカのドラマ『スーパーナチュラル』の二次創作発祥したBLネタで、狼の生態を元にし、「発情期」や「番」「αとΩの階級差」「男性妊娠」などなど刺激的なガジェット満載だ。fanloreでは、2010年から観測されているとし、日本では2013年にPixivに作品が、同年解説したブログが登場している。

女体化や男性妊娠ものは日本でも人気のネタだ。蔓沢つた子『好物はいちばんさいごに腹のなか』は、猫が人間型に進化し、雄でも妊娠可能な、甘くしあわせな世界を描く。同様に独自に日本で発祥したBLは、ほかに先ほど紹介したSOG賞特別賞を受賞した『SEX PISTOLS』があり、こちらは2003年からの作品だ。階級差のある斑類という人種が存在するという設定を持っており、オメガバースにはこの作品の影響も少なからずあるのではないかと睨んでいるが、確かな証拠はない。

ともあれ、海外や日本で、女性が望む世界が同時多発的に出現し、蔓延していく様子は非常に興味深い。

ただ、腐女子の間でも好みは分かれ、拒否反応を持つ腐女子もいる。男体を愛でているのに、なぜわざわざ女体化させなければならないのか、妊娠出産という女性が避けられないイベントをBLというファンタジーの中でも出さなければならないのか、せっかく男女差別から逃れた世界を堪能しているのになぜわざわざ階級差を設けなければならないのか……。どれももっともな批判だ。

それらを女性の自己投影と断じてしまうのはたやすいだろう。しかし、女性の羽ばたいた想像力はさらに高みを目指し、思考は深化する。『好物はいちばんさいごに腹のなか』は、男性らしさを手放すことなく、それらを易々とモノにしていく。また『さよなら恋人、またきて友だち』は「番う運命の相手」というオメガバースのロマンチックさを粉々に打ち砕き、そして再生してみせる。

女性の想像力の発揮は、もちろんBLにおいてだけではない。2014年少子化対策特別賞を受賞した村田沙耶香『殺人出産』がパワーアップして帰ってきた。人工的な生殖が一般化し「恋愛」や「セックス」に対していまとは異なる価値観を持ち始めた世界を描く『消滅世界』は、何が消滅しつつあるのか? を読む人に問う。純文学からSFの領域に近づいた本作の「私たちはいつだって途中なのだ」という言葉が説得力を持って迫る。これをまったくの空想、夢物語とみるか? そうは思わない。われわれの歴史を振り返ってみれば、価値観などあっという間に変遷することがわかる。「性」とはそもそも何か? 生物は生物からしか生まれないという事実を支える、性的欲望を表現した「途中」という言葉が、生命がもつ目的なき目的に重なる。

本作をディストピアと見るかユートピアとみるか。ジェンダーSF研のとある会員はユートピアだという。チバシティ……実験都市「千葉」に積極的に行きたいのだという。私自身は、主人公のキャラクター変遷に非常に共感を覚えた。なにせ最終選考会当日の私の持ち物はと言えば、

  • 鞄、財布、ポーチ、折り畳み傘→推しキャラのカラー
  • メガネ拭き→同人グッズ
  • 眼鏡入れ、パスケース、ピルケース、キーホルダー、ミラー、ペン、シュシュ→公式グッズ
  • 手帳カバー→公式グッズを手帳にかけ替えたもの

村田沙耶香『消滅世界』はディストピアでもなくユートピアでもなく、いまの私たちのリアルだ。

人工的な生殖の機会は実際に進行している。同性愛カップル同士の間の子ども、単為生殖も夢ではない。卵と卵を合体させて生まれたマウスは実際に誕生しておりかぐやと名づけられた。iPS細胞から生殖細胞をつくることも可能であるという。その可能性をリアルな形で見せたのが、同性カップルの一部の遺伝情報から子どもの姿を予測し、映像化してみせた、長谷川愛の(Im)possible babyというプロジェクトだ。リアリティのある映像はNHKドキュメントで放映され、衝撃をもたらした。次世代を思い描くことには、やや苦痛を感じる。NHKの番組を見たときに観じたそこはかとない物悲しさや寂寥は、生まれなかった子どもだからというだけではない。なぜなら、次世代ができるということは、リソースを明け渡すため、自分自身の死にスイッチを入れることでもあるからだ。

これらの一連の生殖をネタとする創作は、単に生命を生み出す女性だから可能だというのは、安直に過ぎる。

生殖は、男性にとっても無縁ではない。私たちは、生存と存続に関して並ならぬ衝動を持ち、それを駆使しして40億年を生き延びてきた。自分という個体を維持する食欲という強い衝動があるが、性欲もそれに匹敵する衝動だ。人の悪知恵で歪めら得ているが、虫や魚に見られる通り強い衝動で子を守るという行動をとる。性欲は次世代維持の衝動であり、子孫を残すためなら何でもする。交尾だけではなく、新個体の保存維持に対する並ならぬ衝動なのだ。

倉田タカシ『母になる石の礫で』は、SFファンなら萌えずにはいられない、古今東西のSFはもちろんのこと、ガンダム、萩尾望都、士郎正宗などなど、俺たちが大好きなSFガジェットてんこ盛り。そして、大好きなそれらで大気圏を脱出し無重力空間での生存、さらに太陽系脱出をもくろむ。それを支えるのが「生み出す」装置であり「母」と名付けられた3Dプリンターだ。「母」の持つイメージ、SFに這い寄る「父性」のイメージを軽やかに打ち砕いてみせる。

生命とは何だろうか。いつまで生み死を受け入れてを続けていけばいいのか。なぜわれわれは、知性を得たのか? 自意識を持たなければならなかったのか? 生命を繋げろというどこからともなく訪れる使命は消えることがない。ゴーストが囁く。50億年後、太陽が死滅する前に、さらに生命を繋ぐ方策を探れと。宇宙が終わるときも超えていけと。本作は、その方向性を指し示す。

卵を守る強い生殖欲が、胎生になったため、生命を内部に宿した女性そのものを囲い込む。そのために、男性は知性を駆使して、女性を慣習で宗教で思想で政治で経済で、縛りつけようとする。日本はいま少子超高齢化社会を迎えようとしている。知性が無駄に使われ、皮肉にも社会的性(ジェンダー)が女性を追い詰め、生命の多様性を低下させ、生命の存続を脅かしている。

いま、それを超える自由な翼が必要だ。

私たちの出番だ。

可能性無限大な私たちの想像力。「女性の女性による女性のための男性同士の恋愛を描いた作品群」から発祥したオメガバースというネタそのものに、今年度のSOG賞を与えたい。

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