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2016年度 第16回Sense of Gender賞 講評

かたやま伸枝(ライター・占い師、ジェンダーSF研究会会員)

草野原々「最後にして最初のアイドル」

アイドルといえば。
もうだいぶ前ですが、異性とおつきあいしたことが露見して頭を丸刈りにした、AKB48の峯岸みなみさんの映像を見た際には、大きなショックを受けました。
第二次大戦後、ナチス兵と関係したフランス女性じゃあるまいし、異性と付き合ったから丸刈り……。
アイドルに熱を上げるのは異性ばかりとは限らないのに。若い幼い女の子たちだって「あんな風に素敵になりたい」と熱い視線を送っているのに。なのに、異性と付き合う罪であり、見つかれば大きな罰が下るととられかねないこの映像を見て、小・中学生の女の子たちは一体どう思うのだろう、と妙に動揺した記憶があります。そして今でもアイドルが「結婚します」宣言すれば非難轟々。状況はそんなに変わっていないと思われます。

アイドルには人権がない。
女性だけではなく、おそらく男性アイドルも(特に某事務所系の)。そして我が国で最も……いえ、話が逸れそうなのでやめます。しかしいったい、何がそういう「空気」を作っているのか。こんな感じで、どんなにステキな人がアイドル活動をしていても、アイドルというだけで、ペットショップで生体販売されている犬や猫と同じように感じられて「心が冷えるなー」と思いながら横目で見てきました。

が、この物語の主人公の、突き抜け切ったアイドルぶりときたら!
性別も、生き物としての種も、時間も、星も越え「もうそれ、絶対アイドル活動じゃないよね」というあまたの破壊殺戮行動を天井知らずにぶちあげながら、でも、でも、輝き続ける主人公のキラキラが、エネルギーが、次に何が飛び出すかまったく予測不能な行動力が、すべての「境界」をぶち抜いて広がり、とてもすてきで、本当におもしろかったです。

白井弓子『WOMBS』全5巻

読み進めながら、自分の妊娠体験を思い出して、とても懐かしく感じました。
でもなんで妊娠体験と軍隊が似ていると思うんだろう? どこがどうして似ていると思うんだろう? と、WOMBSの描き出す架空の星での、架空の移民同士の戦争を読み進みながら、ふと思い当たりました。
「管理されているところだ」
体重の制限を守る。むくまないよう塩分を控える。きちんと栄養をとり、適度な運動をする。
わたしが妊娠したのは、もう四半世紀前なので、今はもうぜんぜん違うと思いますが、病院は先生が軍医さんだったこともあり、数値が標準を越えるとお医者様や看護師さんに怒鳴られました。他の妊婦さんでは、泣いている人もいらした記憶があります。
今はもうそんなことはないと思います。とはいえ、定員一名のはずの人の肉体に二名以上が入り、別の命によって自分の体が自分の意のままになりにくくなる「妊娠」は、やはり女性にとって今も一大事でしょう。
さらに今でも妊娠中は親や親戚、それに道を歩いている見知らぬおばさんおじさんまでが、衣服(特にヒールのある靴)、食べ物、振る舞いに、必要以上にクドクド言ってきます。「妊婦なのに!」「あなた一人の体じゃないのよ」
作中もやはり母体は過ごし方を管理され、子宮の中の命に影響を受けます。妊婦は、環境から管理され、お腹にいる子どもから制限を受けることなのだと、この作品は改めて思い出させてくれました。

さらに読み進めるうちに感じたのは、出産は、今はもう女性のというより、女性の中の一部の、女性の中のある年齢の人たちだけの行為、と自分では感じるようになっていたのです。つまり、女性全体の問題ではないと。
それが、お腹にエイリアンを宿した兵士だけが特殊な空間入れる、というこの作品の状況ともマッチしていて、さらに現実とのリンクを感じさせてくれます。
そして最後のシーン、やはり妊娠&出産は命がけなことも、思い起こさせてくれて、感慨深かったです。

川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』

読後、とても心地よい疲労感に浸れました。小学生の頃、プールでさんざん泳いで、お昼寝をする直前のような疲れを、精神的に覚えました。やさしく温かく、うるわしく、でもいささかも読み飛ばすことができない濃密な文章と世界観。人類が長い長い時間をかけて、ゆっくりゆっくり滅びていく様を描いた、名作です。

として、ジェンダーにからめて感じたことが二つ。
まず、物語の中には「ヒロイズム」が、ほとんど登場しません。人類が滅びかけているのを「オレが救ってやる!」といった映画「アルマゲドン」的な思想で動く人物は、一部を除いて出てきません。代わりにあるのは「テロやら戦争やら汚染物質の拡散をめんめんと続けてきた」という、ごく短い記述です。この柔らかく温かい世界には、描かれなかった過去、描かれなかった思想があります。あえて述べると「男性的な」そのヒロイズムは失敗に終わっています。
その時代を引き継いで、人類を滅びから救うため、日々日常の繰り返しのなかで、時間をかけ「育てる」ことで滅びの流れを矯正していく……あえていうところの「女性原理」で動いているのが、この物語世界です。
この描かないことで感じさせる、ある種の喪失感が、ひじょうに心に染みるものがありました。

次に物語の中でも「母」にはやっぱり「個性がない」のだなあ、と。
現実でも女性が「母」になった途端に「◯◯ちゃんママ」として、コミュニティの中で自分の名前すら失ってしまうことが多いのですが、物語中でもやはり母にはほぼ個性がありません(例外もあるようですが「個性」の描写はほとんどありません)。
現実の「母」に、本当に個性がないのかというと逆で、むしろ密室化しやすいため、育児の場ぐらい女性の個性が出るシーンはないのです。
しかし作中の母は、一部をのぞいてはほぼ均一です。個性のある母も、その個性が描かれることはありません。
名もなく無抵抗に子を慈しみ続ける、その個性のなさ。母という「働き」や「作用」により子どもが育っていく有様は、読んでいて胸の痛みと寂しさがかき立てられましたが、しかしそれはまさにこの作品だからなし得た、真実の抽出だとも感じるのでした。

漫画『この世界の片隅で』こうの史代/映画『この世界の片隅で』片渕須直監督作品

先日、おじいさんは戦争の頃の話を熱心にするのに、おばあさんは語らない人が多い、という話がツイッターで回ってきました。かなり主観的ですが、自分の身の回りでも、男性は戦争中のことを語っても、女性はあまり語りたがらない、という印象があります。父や叔父は熱心に戦争中のことを語りましたが、母や祖母は「たいへんだった」というだけで、細かなことは話さないのです。

なのでまず、こうして戦争中の生活が女性の視点から発信されることが、ひじょうに貴重だと感じて拝見しました。

映画はともかくも、なんとも愛らしいキャラクターとその動き、そしてこれ以上はないほどすばらしい「のん」さんの声優としての演技。呉の空の色と空気感、なんてステキな世界だろうと夢中で拝見しました。

そして味わう、胸が温まるような優しさと、楽しさとともに、ずっと心を紙やすりにかけられるようなヒリヒリした感覚。

当たり前に、兄に殴られつづける主人公すず。見知らぬ町に嫁に行き、慣れない家事を嫁ぎ先の家族や周囲にうっすらバカにされ、血の繋がりのない嫁として孤独感に耐えながら、目一杯働き続け、ストレスと孤独が体にはっきりと出てしまうのを見ると、どうにも胸が痛い。
嫁ぎ先の家族も、とても善良な人たちなのに。ちゃんと愛されているのに。なのに「世の中の仕組み」として女性に負荷がかかるようにできているところを見ると、心がヒリヒリするのでした。
それはこの映画の、驚異的なほどに臨場感を生んでいる、長所のなせる技だと思います。

それが戦争が進むにつれて、家族に少しずつ一体感が生まれてきます。少ない物資をやりくりする中で、お嫁さんの活躍に視点が集まり、みなが彼女を見直し始める。いっそ戦争していた方が、全員に生活への緊張感があってよいのでは、と感じるほど。あの事件が起きるまでは。
いいシーンでした。映像の思い切った演出と、のんさんの語り。これ以上はないと思います。
ラスト、リンさんの話もちゃんと入れてくれたところにも、とても好感を持っています。本当はもっと入れて欲しかったのですが、映画の性質上「すずさんの話」に集中せざるを得ないのは、致し方なかったかと。

映画が終わって帰ると、その晩すぐに電子書籍で原作を買い、夜更かししながら一気に読んでしまいました。
原作は、さらにすばらしかったです。
あとがきには「戦時の生活がだらだら続く様子」とありましたが、たしかにいつでも、どんな時でも、人はそのように生きていると。よく拾い上げて紡ぎあげて、作品に仕立ててくださいました。
そして監督ほか製作にあたった方々も、相当なご苦労の末に、この物語を映画にしてくださったと聞いております。ありがとうございました。

須賀しのぶ『くれなゐの紐』

最初、この物語の中になかなか入っていけませんでした。それは登場人物の「女装」「男装」が、まったく周囲に怪しまれることもバレることもないかったからです。
そんなに簡単ではないだろう、と。人はジェンダーがからんだときの、異装の差異にひじょうに敏感です。あえていえば、その手のウソに対する嗅覚の鋭さは、ほかの件の偽装よりも何倍も鋭いのです。

ただ話が進んで、登場人物の社会的、あるいは家庭での立場や心情にどんどん踏み込んでいくと、ストーリーは俄然、物語世界の中で骨太で強固に、なおかつ万華鏡のように鮮やかになっていきます。

性別が逆転しただけで、世の中がまるで変わって見える。無力な者たちの間では「売春」は、むしろ命をつないでいくために必要な安定した稼ぎにつながること。同じ発言も「男」でするか「女」でするかで、世間の評価がまったくかわること。学があるといっても、女学校を出ただけでは「その後」の現実を変えるような大きな仕事にはつながらないこと。
そして、最後の葉書にあった日付に、胸を打たれるのです。

2016年度 第16回Sense of Gender賞 最終選考委員の講評

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