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2014年度 第14回Sense of Gender賞 講評

鈴木とりこ(評論家、ジェンダーSF研究会会員)

講評(2014年度SOG賞に寄せて)

候補作はいずれも読み応えある作品で、どれを大賞に推すか、最後までたいへん悩ましく思いました。
最終選考会当日は貴重なご意見をお伺いすることができ、素晴らしい経験となりました。
選考委員の皆様に、深く御礼申し上げます。
以下、候補作の五十音順に拙考を述べさせていただきます。

勝山海百合『狂書伝』

選考会でも最も話題になり、わたし自身も気になったのは、タイトルにも含まれる「狂書」の要素であった。

本書では思春期の乙女の日常を綴った手紙を「嬢信」と呼び、これを蒐集して内容、筆跡、料紙などを含めた全体の様子から書き手(の乙女)の日常を妄想するという「嬢信癖」を楽しむ男性が登場する。彼らは通常なら値がつかないような文(ふみ)に新たな価値を見出し、愛でるという点では文化的パイオニアともいえるが、自分たちの行為に疚しさを自覚し、隠れて活動している。蒐集癖を持つ男の実妹が、友人とのやりとりをする手紙を見たがる様に、自分の友人に懸想しているのではと疑い、やがてそうではないと理解するものの兄の目的を諮りかね、薄気味悪さを感じるという場面が描かれる。どこかで見た情景が重なる。

非常に面白い要素にもかかわらず、嬢信、およびタイトルともなっている「狂書」に関する言及が意外と少なく、その点を残念にも思った。

わたしは中国の伝奇にはまるで不案内で、本作が中国の女侠小説としてどういう位置づけにあるものか、判断材料も発想も持たず、世界観を楽しむ読み方のみで選考会に臨んだが、選考会にて専門家である立原氏のご意見をお伺いする運びとなり、たいへん得難く貴重な経験となった。

個人的に、昨今ステロタイプとなっている嫁・姑との対立ではなく、むしろ「このお母さん(姑)のいる家庭になら嫁ぎたい」というエピソードなどはかえって新鮮に感じられた。贈賞の対象とはならなかったが、要所にセンスオブジェンダーを感じる、素晴らしい作品であったと思う。

村田沙耶香『殺人出産』

本書は唯一の作品集で、掲題の「殺人出産」を含め4編が収録されている。SFと呼べるのは「殺人出産」と「余命」の2作だが、他の作品もみな共通の切り口を持っている。

掲題作の「殺人出産」は、「SF」であっても「妊娠出産SF」ではない、個人的にはそう考える。本作では、リアルな意味における「体外受精」「人工授精」などは、おそらくあまり重要視されていない。妊娠出産をテーマに据えるハードSFを期待して読み進めると、失望する読者もあるかもしれない。

だが本作の主眼は、「10人産んだ者は、1人殺す正当な権利を持つ」という世界観を描く部分にあり、この意味において、本作は明確にディストピアSFである。

「殺人出産」では「50代男性でも人工子宮を装着することにより妊娠出産が可能である」と設定されているが、これは「妊娠出産SF」としての意味合いではなく、男女が等しく殺人行為の正当な権利を持つ、という設定を補完する描写であろう。

性行為と妊娠・出産を切り離す試みにおいて、「トリプル」「清潔な結婚」もまた明確な一貫性を持っている。性愛(性行為)と妊娠・出産が切り離されなければ、女性だけにリスクが生じる。妊娠をリスクと捉える考え方は短絡的かもしれないが、しかしやはり事実としてリスクである。母体にとっては生物学的にも命を懸けたリスクであり、現代日本においては社会的にも様々な意味でリスクである。このリスクを男女における純粋な公平性として担保するには、別の価値観によるシステムが必要となる。たとえば「殺人出産」が示すような。

「トリプル」はあえてトランスジェンダーな存在に言及しないことで、固定観念への疑念を描出する作品ではないか、とも感じた。

選考会中、政府による少子化対策推進のため、かどうかは不明だが、メディア全体のムードとして、妊娠・出産が肯定的に捉えられすぎではないかという懸念が提示された。興味深い視点である。本書の示すアンチテーゼは、現在蔓延するある種の画一的な流れに一石を投じるものだと思う。

上橋菜穂子『鹿の王』上下

本書は優れた異世界ファンタジーであり、同時にグレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』、篠田節子『夏の災厄』など、SFでは一ジャンルとして確立されたバイオハザードSFの系譜にも連なる作品だ。

従来の上橋作品は、複数の主人公を擁する「守り人」シリーズを含め、女性主人公の視点で語られる作品が多く、それだけで既にジェンダーの切り口を強く内包している。本作は戦士を生業とするヴァンを主人公に据え、そして物語の舞台が封建的な世界として設定されている以上避けえないことかもしれないが、従来作よりも若干封建的であるようにも感じられた。

選考会では、本作と従来作品との構造を比較することで、逆に炙り出されるジェンダーの問題を考えてはどうか、という興味深い可能性も示唆された。

だが本作の読み応え、物語のダイナミズムや圧倒的な世界観は、たとえば主人公ヴァンのイクメン度が低い、といった部分であれこれ評価するのは違うようにも感じられる。

ヴァンと娘・ユナとの絆は終盤にほんの少々語られるのみで、その点をもっと読みたかったようにも感じた。とくに、ヴァンとユナの間にある、他者にはない「血の絆」は、遺伝的な意味での「血の絆」ではない、という点も象徴的で興味深い。血縁ではない家族たちが集まって暮らす新たな共同体の提示も3.11以降の創作として、興味深く感じられた。
結末において、戦士ヴァンが自ら一人が死ぬことで責任を果たし、鹿の王としての本懐を果たそうとする際、ユナはこれを許さない。武士道は死ぬことと見つけたり、といった種の古典的な「男の美学」は全否定である。追いかけてヴァンを取り戻そうとするユナの顔は希望に満ちて明るい。贈賞の運びとはならなかったが、素晴らしい結びだと思う。

西UKO『となりのロボット』

物語の主人公は研究者チームによって管理されるAI(人工知能)、「ヒロちゃん(プラハシステム)」である。容れ物を女性形としてつくられており、類型システムとして男性形が存在するか等については、作中で明示されているわけではない。時間をかけて学習・発達していく中で、特定の興味対象に対する執着を獲得し、これが作中において「恋」とみなされる、という描かれ方である。

人工知能が事実としてそのように働くか、という部分には説得力があり、心を惹きつけられた。
チカちゃんは女子高生の形状をしたヒロちゃんの外見上の年齢に追いつき、追い越していく。思春期を迎え、ヒロちゃんに向けられる関心は単なる思慕から徐々に別の形へと育ち、おそらくヒロちゃんはチカちゃんを通じ恋愛を「学習」しているが、果たして恋とは、学習を通じて獲得されうるものだろうか。ヒロちゃんが独自に行った自立判断を、他にどう名づけることが可能だろう。

作中、ヒロちゃんが痴漢に遭うエピソードがあり、この問題提起も興味深かった。ヒロちゃんは自分が遭遇したトラブルを当然ながら理解しておらず、プロジェクト支援チームは大慌てになる。ヒロちゃんは対処方法を学習する。すなわち本作において、女性性の一部は後天的に学習されるものとして描かれている。

本作は女性同士の恋愛というカテゴリに落とし込まれるもの「かも」しれない。だがそもそも「百合」とは何だろう。女性同士の思慕やコミュニケーションとは、「百合」と名付け、定型に落とし込まねばならないものだろうか。好きの反対は無関心、そして他者への強すぎる興味はしばしば恋愛のようと揶揄されることもある。本作はコミュニケーションの新しい形を模索する、次の地平へと想像を喚起する広がりを持った、素晴らしい作品である。

乃木坂太郎『幽麗塔』(全9巻)

本作で提示されるジェンダーへの切り口は実に多岐にわたる。

主人公の太一は冴えない無職ニート、対置される沢村鉄雄(テツオ/麗子)は際立った美貌に恵まれ、だが女性としてのそれに当人は無関心で、性同一障害に苦しむ存在である。

苦しむとはいうものの、選考会において「性的マイノリティという要素は、本作においてはまるで豪華絢爛な衣装のように扱われている」と鋭い指摘がなされたとおり、少なくともテツオ/麗子に関しては、悩む姿すら視覚的な楽しみ、読者サービスのように供されている一面がある。

そもそもテツオ/麗子はその美貌に加え、大胆不敵な行動力、回転が速く明晰な頭脳、優れた身体能力など、凡人とは程遠いスーパーヒーローである。性的マイノリティという要素が弱点になっておらず、彼/彼女は常にパーフェクトで、絵面的にもサービスカットの大盤振る舞いだ。

空の星であるテツオを地上から見上げるような、対照的存在として描かれる太一だが、逃避行に際し、不本意ながらも似合わぬ女装を余儀なくされる。ここまではよくある展開のようだが、この女装は一過性のギャグに終わるものではない。全9巻中、4巻後半〜8巻序盤まで、太一は実に物語の半分近くを女装で過ごす。太一の女装関連のエピソードは、まるでLGBTの教科書のようだ。だが太一の性志向は常に明快でストレートである。これは女装を経ても揺らぐことがない。

太一の女装は、テツオが女性であると太一が知るとほぼ同時に始まる。そして太一が財宝を手に入れる瞬間に脱ぎ捨てられる。漫然と与えられた衣服(男装)から、自分とは何者かを常に問うてくる異性装を経て、太一は主体性を獲得する。だが、男性性の獲得のみが賞揚され、物語の要となるわけではない。太一はその後、今度は男性装を「脱ぐ」ことで、一度失ったテツオ/麗子を取り戻す。最終話においても、異性装にてテツオを獲得するのである。

華やかなテツオの異性装のみにとどまらず、衣装という装置が極めて効果的に物語中に組み込まれている。着/脱される衣装は女装・男装の双方である。ジェンダーに対する優れたバランス感覚が描出されている。

太一とテツオをめぐる周辺人物も、本作にはいわゆる「マトモ」な人物は極めて少ない。7巻における山科警部の「今、この塔にいるのは犯罪者と殺人鬼と性的倒錯者ばかりだ。普通のあんたが、ここじゃ一番の異端児なんだよ」という台詞が如実に物語っている。

ここでは衣装の部分のみに触れたが、ハイヒール問題や車内痴漢、高齢出産、寡婦殉死、美容整形など、ジェンダー関連の切り口が全編にわたって散りばめられた本作は、サイコサスペンス、手に汗握る冒険もの、主人公たちの成長譚としても非常に面白い。

なにより幽霊塔の財宝の使い道には、読み手としてさらなる夢が広がるばかりだ。本作に大賞をお贈りすることができて、とても嬉しく思う。

2014年度 第14回Sense of Gender賞 最終選考委員の講評

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