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2011年度 第11回Sense of Gender賞 講評

水島希(東大情報学環特任助教)

●選考会を終えて

 今回は、マンガ、アニメから長編小説まで、多様な形態の作品が候補となった。外部選考委員として1作品ずつ興奮しながら鑑賞させていただいた。以下、全体的な感想を述べたあと、候補5作品について五十音順で講評を述べたい。

 5作品を全部みおえて印象に残ったのは、社会を良くしたいと真剣に考える生真面目な女の子が主人公や主要キャラクターとして登場する作品が多かったことだ。よくあると言えばよくある設定だが、自分の身近な人を救うとか、ばくぜんと「世界を悪から救う」という動機ではなく、「よりよい社会のあり方とはどのようなものなのか」ということをそれぞれが真剣に考え、そう簡単にはいかない現実に苦悩しつつ自分なりの解答を生み出している。『ななめの音楽』の光子、『終わり続ける世界の中で』の伊吹と瑞恵、『魔法少女まどか☆マギカ』の鹿目まどかがその例で、複数の作品で取り扱われているテーマのシンクロを感じた。腐女子や干物女、負け犬など、これまでも女子のサブグループにはさまざまな名前が付されて来たが、まだ名付けられていない、でも私たちにとって重要で簡単には消費されないような有り様に光が当てられはじめていると感じた。

 私は、もともとは動物行動学/行動生態学が専門で、現在は「科学技術と女性」「フェミニズムと科学技術」という領域で研究を行っている。今回の候補作の中で、技術と女性というテーマに果敢に挑戦した『ななめの音楽』への私の評価が高かったのはそういった影響もある。しかしそれだけでなく、『ななめの音楽』では提示された結末が未来への希望にあふれている点が、他の作品とは大きく異なっていた。なかなか変わらない男性中心主義的な制度や異性愛主義的な慣習は身のまわりにあふれている。思考実験としてのSFやファンタジーが絶望だけで終わるのならば、日常とそう変わらない結果となる。そういう意味で、エンパワメント効果が絶大な『ななめの音楽』が大賞を受賞されたことに私は納得している。

 また、全体を通して、女の子単独の活躍ではなく、女子同士のポジティブな関係性が描かれているのも印象的だった。「シスターフッド」という言葉は1960年代のウーマンリブ(女性解放運動)の流れの中で重要視され称揚されてきた言葉だ。家制度や異性愛主義にはばまれ自由に関係を深めることを許されず、関係するとしても男を奪い合い憎み合うくらいしかなかった女たち。そこに、「シスターフッド」という概念が入ることで、お互いを同志として理解し合い支え合うことができ、体制を転覆させる力を持つという未来が開けたのだ。今回、特に『終わり続ける世界の中で』と『魔法少女まどか☆マギカ』の2作品に対して、シスターフッド賞が授与されることになったのは、両作品の物語の進行において、少女同士の関係が重要な鍵となっていることが理由のひとつだ。この2作品を見比べることにより、シスターフッドのあり方についてより深く思いをめぐらすことができるようになるのではないかと期待している。

■粕谷知世『終わり続ける世界の中で』

 主人公と同年生まれの私としては、登場する小物ひとつひとつに意味を読み取ってしまうほど、のめり込んで読んだ作品だ。「ノストラダムスの大予言」、「マイバースデイ」、篠田先輩の自己啓発やアファメーション系の言葉の数々……。身に覚えがあり過ぎて気恥ずかしくなる。クラスの人気者でもなく、かといって落ちこぼれとして目立つこともない、真面目で平凡な女子・岡島伊吹は、小中高どのクラスにもいた。小説やマンガでは「その他大勢」として背景化してしまうような、脇役にさえならない女子の方が、リアルな世界ではむしろ大多数だ。伊吹的な存在は、メディアで消費される「女の子」というイメージにも含まれていないし、たくさん居るのに集団として認知されていない。この事自体が、ジェンダーという認知上の枠組みの強固さを裏付けている。こうした名付けられないささやかな存在に焦点を当て、心の葛藤や試行錯誤の流れを克明に描き出した功績は大きい。

 伊吹は大きなことを成し遂げようなどとは思ってもいないのだが、真剣に社会の問題に対峙しなければという生真面目さを持っている。しかし同時に、自分にできることの限界や、いわゆる「世間体」を内面化しているため、中原瑞恵にはなれない。そんな伊吹は、世界を救うためになにができるのか。結末が若干もやもやしているが、ヒロイン的な振る舞いはしないというのが伊吹の伊吹たる所以なので、これもリアルに感じられる。

 選考会では、私より上の世代も下の世代の方もいたのだが、思い入れの大きさに大きな世代間ギャップがあったのが興味深かった。伊吹はある特定の時代背景でだけ生まれるのだろうか。

■萩尾望都『音楽の在りて』

 マンガだけでなく小説も!と驚嘆しながら読ませていただいた。この数十年でバイオテクノロジーが劇的に進歩したこともあり、1970年代という時代の限界が否めない部分もあるが、それでも短編「ヘルマロッド殺し」や中編「美しの神の伝え」など、こんなに早い時期から性の有り様に本質的な問いを投げかける作品が書かれていたのだという事実に感銘を受けた。そういう点では、この作品自体に贈られる賞というよりも、ジェンダーという言葉がなかった時代から一貫してSF的な視座から性の有り様を問う作品群を発表し、この領域を牽引してこられた功績に贈られる賞がふさわしいと思った。存在してくれて本当にありがとうございます!! という気持ちでいっぱいである。一方で、選考会では、過去の作品を他の作品と同列に評価することの難しさが語られた。萩尾氏は今年も新作を発表され続けている。次年度、ぜひ現在の作品を評価していただきたいと思う。

■川原由美子『ななめの音楽I』『ななめの音楽II』

 私個人としては当初から一押しの作品である。少女マンガに第二次世界大戦時の戦闘機!? という驚きの組み合わせだが、少年向けアニメの領分だった戦闘機や機械が、雲の宮殿や天使の羽やいちごケーキという少女マンガの世界と無理なく共存する有り様が提示されており、本当にすばらしい。無理なく、と書いたが、そもそもこの2つは共存しないという「無理」を造り出してきたのがジェンダー枠組みなのである。ラストで登場する第三の「ななめの音楽」と同様、この作品自体がジェンダーという枠を越える「ななめの音楽」になっている。

 ここで描かれている技術と女性(特に思春期の女子)との関わり方が一様でないところもすごい。技術を使いこなすことによって戦争という過去の過ちと向き合おうと苦悩する光子先輩、主人公こゆるの目を通した魔法やファンタジーとしてのテクノロジー、アイドルとパイロットの両方の経験を経ることによって、技術との受動的な関わりから行為主体という意識の目覚めを経験する久永まな希。しかも、お互いが影響し合い、それぞれの将来をつかんでゆく成長譚ともなっている。

 そもそも、テクノロジーこそが女性を生物学という足枷から解放するのだという楽観論は、SFアニメによく登場する無駄に胸がミサイルになっている女性型アンドロイド(機械なんだから性別不要なのに)を見れば、そう簡単には行かないことがわかるし、テクノロジーも戦争も男性中心主義的な世界を拡張するのだといった悲観論もまた、科学技術の全否定に陥るか、良い技術と悪い技術のどこに誰が線を引くのかという問題を生んでしまう。最近、男女共同参画局では科学技術への女性の参加を促進するために、理系に進む女子高校生たちを応援しているが、海外では女性技術者が結局のところ原子力産業の広告塔にされたりしている。技術と女性の関係はどうあるべきかという問題は、こうした矛盾を多々含んでいるが、日本では議論すらされていない。『ななめの音楽』はこうしたことを考えるきっかけになる。

 軍事技術から派生したテクノロジーは私たちの身の回りにあふれている。こうした技術を使うことは、戦争に反対することと矛盾するのだろうか。これはフェミニズムの中でもなかなか結論の見えない課題の1つだ。光子先輩は試行錯誤の末、自分なりの結論を出す。震災後、使用の是非をめぐって大きな社会問題となっている原子力発電所は、まさに軍事用に開発された技術が日常生活に入り込んだ例だ。光子先輩だったらどう向き合うのだろう……と妄想が拡がる。

■TVアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』 監督:新房昭之

 魔法少女の常識を打ち破るストーリー展開に、終始ドキドキさせられながらの鑑賞だった。娘(8歳)からの事前口コミ情報で、プリキュアと違って主人公がぜんぜん変身しないんだよ、最初の方で重要なキャラクターが死んじゃうんだよ、と聞かされていたが、それを知っていても衝撃は大きかった。

 しかし、魔法少女のカラクリが明らかになるたびに、ええ~、そっち方向!? と、がっかりが増えていったのも事実だ。魔法に犠牲や制限が付き物であることはシンデレラや人魚姫といった昔話で繰り返し語られている。魔法はもともと女の子たちに向けたひっかけ問題でしかないのだ。魔法がないと変われない無力な存在であるという設定を当然のように押し付けられたあげく、他人の力に頼ろうとすると痛い目に会うという説教めいた結末が待っている。女の子たちは「私なんかに何かを変える力はない」と思い込まされているからこそ、魔法への対価を支払い続けてきたのだし、その結果罰されても仕方ないのだとあきらめてきた。ジェンダーという視点からみれば、従来から少女に割り当てられてきた「自己犠牲」で終わるのではない、自分も他人も犠牲にしない生き方が模索されるような、そんな結末が示されてほしかったと思う。個人的には、魔女たちが作り出す異空間の描写がとても好みだったので、魔女中心の外伝が見てみたいと思った。

■東直子『私のミトンさん』

 身長50センチのナゾのおばあさんという設定に、わくわくしながら読み進んだ。おばあさんが登場するお話は大好きだ。ジェンダーに挑戦という点から言って、もっといろいろな物語で大活躍すべきだと思う。アンチエイジングしている場合ではない。ところが期待とは違って、ミトンさんはあまり語らず、フルーツばかり食べて寝ているのだった。これでは果実食の霊長類の貴重種を飼育しているのと変わらない。アカネの母親とミキヒコ叔父さんとの関係や、みほさんと死んだ赤ちゃん、アカネが時々呼びかける実母より強力な母なるものの象徴としての「ママ」など、おもしろそうで、なおかつジェンダーを再考するのに効果的と思われる設定が散りばめられているのだが、うまく展開されていないように感じた。個人的には庄司くんが好きではなく、なんでこんな人といつまでもつきあってんの、職場の先輩・目黒さんの言う通り、早く別れなよ! とイライラしてしまった。主人公と気が合わないことが、読み解きにくい原因だったのかもしれない。

2011年度 第11回Sense of Gender賞 最終選考委員の講評

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