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2009年度 第9回Sense of Gender賞講評

増田まもる(翻訳家)

翻訳家というのはおもしろい職業で、作品の選り好みさえしなければ、じつに多様な小説世界に、おそらく作者とほぼ同じレベルで没入できる。とりわけSF作品は、発想から構造、表現スタイルにいたるまで、いかなる文学ジャンルより多種多様であり、すぐれたSFは読者の世界観をゆさぶる力を持っているので、長年SFの翻訳に従事してきたおかげで、思考的にも感性的にもきわめて柔軟になれたという自信がある。おそらく今回本賞の選考委員に選ばれたのも、そのあたりを評価していただいたためではないかと思う。

万城目学『プリンセス・トヨトミ』

作者の作品を読むのは、『鴨川モルホー』『鹿男あをによし』につづいてこれで三冊目だが、京都、奈良ときて、次はどこかと楽しみにしていたので、大阪が舞台と知って、かなりわくわくしながら読ませてもらった。『鹿男』では夏目漱石の『坊ちゃん』の文体をさりげなく取り入れたりして遊んでいたので、そのあたりの遊び心も期待していたのだが、本作は物語のテーマそのものが壮大なので、語り口は手堅くまとめている印象だった。もともと作者の文体は癖がなくて非常に読みやすく、作品の構造もすみずみまで計算がいきとどいているので、さくさくと気持ちよく読むことができた。これはじつに得難い才能だと思うが、読み終わっても心は少しも動いていなかった。本賞の趣旨からいえば、これでは物足りないというのが正直な印象であった。

宮部みゆき『英雄の書』

『あやし』『おそろし』『あんじゅう』という時代ものを除いて、あまり熱心な読者ではないので、あくまでも本書についてのみ述べさせていただくが、非常におもしろい部分と、きわめて月並みな部分が混在している印象だった。おそらく作者の念頭にはミヒャエル・エンデの『はてしない物語』があって、あちらが世界から失われた想像力を取り戻そうとする話だったのに対して、想像力こそ諸悪の根源であるという思い切ったテーマを、想像力豊かにファンタジーとして描いてしまおうという矛盾に満ちた壮大な意図があったのではないかと思う。それがひしひしと伝わってくる部分はおもしろいのだが、既成のファンタジーの枠組みにおさまってしまっている部分はいささか月並みな印象を受けた。また、かなり長い作品でありながら、最後まで読み終えても完結した印象をもてなかったのは、構造的に『はてしない』ファンタジーの宿命かもしれない。はっきりいって、本書は完結した作品ではなく、決して完結することのない『英雄の書』シリーズの第一部にすぎないと思う。

樺山三英『ハムレット・シンドローム』

これは非常におもしろかった。『本作は久生十蘭の「刺客」「ハムレット」を翻案した作品です』とあるとおり、シェークスピアの『ハムレット』をメタ化した『刺客』『ハムレット』をさらにメタ化した作品というだけでも冒険精神が旺盛でおもしろいのに、改めて久生十蘭の作品と読み比べてみると、その文体と構造の洗練ぶりはみごとのひとことに尽きる。とりわけすでに完成度の高い久生十蘭の『刺客』をあえて本歌取りしてさらに洗練させ、すっきりと格調高い作品に仕上げているのはみごとである。久生十蘭作品ですべて漢字表記だった登場人物がカタカナ表記にされることによって軽やかになり、一人称の独白の重みをやわらげているのも、作者のセンスのよさを物語っていると思う。SOG賞的には、ヘソムラアイコの章が秀逸だと思うが、どこをとっても気配りがいきとどいた作品なので、ぜひ皆さんに読んでいただきたいと思う。

日日日『ビスケット・フランケンシュタイン』

これも非常におもしろかった。じつは日日日と書いてあきらくんは、デビュー当時からその自由自在な想像力と独特の言語感覚に注目していて、『アンダカの怪造学』や『狂乱家族日記』シリーズなど、ずいぶん楽しませてもらっていた。ただ、このままでいけば、多産なライトノベル作家に終わってしまうのではないかと危惧していただけに、本書に出会ったときはほんとうにうれしかった。どうしても伝えたい思いがあって、それにふさわしい表現を模索したら、かなりハードなSFにいきついたので、そこから作品の構造と文体が決まったのではないかと推察されるが、日日日節とでもいうべきいくぶん癖のある文体や漢字のセンスが、この作品ではじつに効果的に使われている。場面が変わるたびに主人公の少女が解剖されているという奇抜な発想もみごとで、丁寧に作り上げられた作品世界が読む者の心を揺さぶり、価値観を転倒させるという、まさにSFならではの読書の醍醐味を思いっきり味わうことができた。読み終わった後で、大原まり子さんの『メンタル・フィメール』を思い出したが、たしかに深い共通性を感じるものの、はっきりいって異質だと思う。このあたりは物語の構築にかかわる問題なので、いずれじっくり考えてみたいと思う。

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