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2009年度 第9回Sense of Gender賞 講評

石神南(カフェ・サイファイティーク スタッフ兼ハカセ)

人間の年齢を三で割った数字を時刻に置き換えると、それが、人生における「時刻だという。たとえば、十五歳、中学三年生の少女は、15÷3=5で朝五時、人生の夜明け前にいるのだと。
その計算でいくと「よく働いた~ もうすぐお茶の時間だ」な私は、今回の候補作となった物語を四つ読み終えて感じた。「あらゆる物語は、もしかしたら、少女、あるいは少年のものではないか? と。
物語に欠かせない要素のひとつである、熱さ。それを失ったら、物語は物語ではなく繰り事となる。むろん、大人が熱く行動する物語も多く存在するが、今回、熱さを感じさせてくれたのは、どれも、少女あるいは少年の生命のみなぎりと、それらが織りなす輝きによるものだった。
「午後の時間に暮らす」大人の冷静さは、添え物に過ぎないかもしれないが、かつては、昇る朝日の眩しさに目を細めた者として作品を読んでみたい。

宮部みゆき『英雄の書』

「少年を救うために、少女が旅立つ」物語である。
主人公である小学五年生の友理子が抱える「熱さ」は、異世界に囚われてしまった兄を取り戻したい、という思い。そして、兄、大樹もまた、〈英雄〉に「熱さ」を感じて囚われたのだと、ユーリとなった友理子は、兄を探す旅を通して悟っていく。
大樹が囚われてしまった「熱さ」は、大人達が対応を誤らなければ避けられたはずだっただけに、痛ましくてならない。頭がよく、行動力があって、思いやりのある少年であったがゆえに落ちてしまった闇。洋洋たる未来が彼には開けていたはずなのに……。
しかし、ひとを救おうとしてであっても、罪を犯した彼に対して、作者の筆は容赦がない。友理子と一緒に「不公平だよ!」と叫びたくなった読者もいたに違いないが、私たちは、友理子とともに、「輪」の世界の理にただ立ち尽くすのみとなる。
しかし、明日を生きていく有理子には、現実と戦える力が、ほんの少しだが与えられた。そのことだけが救いとなる。
「おまえはこの禁忌の地を訪れ、この地の理を知って、輪に帰る希少な人間だ。人びとが〈英雄〉を仰ぎ、〈黄衣の王〉に魅入られる諍いのなかにあっても、けっして声を失うな。何が正しく、何があるべきものなのか、見極める瞳を閉じるな」
大僧正の友理子への言葉はそのまま、子どもたちには未来を紡ぐメッセージとして、大人たちには重い課題として、心に残る。

万城目学『プリンセス・トヨトミ』

会計検査院、この耳慣れない機関に属する大人三名が、冒頭から登場する。個人的な話で恐縮だが、私は本業では、この会計検査院に「検査に入られる」側にいるため、この時点であっさり、物語に引き込まれてしまった。そして、幼いころから「女の子になりたい」と願い、中二のある日、意を決してセーラー服を着て登校した真田大輔と、幼馴染の橋場茶子、二人の女子(?)と彼らを取り巻く大阪の人々、この取り合わせが、大阪に、ある事態を引き起こすきっかけとなる……。
ノンストップで進行するこの物語は、会計検査官と中学生の食い合わせが悪い、などと細かい所でいちゃもんをつけずに、一気に読んでしまうのが一番いい。
検査官のひとり松平とその父親とのエピソードが、後で効いてくるところには、ほろりとさせられる、セーラー服を着て登校し、不良に袋だたきにされる大輔の覚悟と、「正直であることは難しい」と大輔に語る教師がいい味を出している、フランス人と日本人との間に生まれ、トップの成績で国家公務員試験に合格し、で、きっつい性格な美女が、大阪コテコテな話の清涼剤となっている、等々、取り上げたいエピソードが満載だが、それらを飲み込みながら、ぐいぐい読んでいくと、ラストで「あ…」と言わされる羽目になる。ここがジェンダー的に読み所なので、あえて結末は書かない。
型にはまった「女性=男を見守る」の視点から外れていないので、ちょっとアマイ結末とは感じたが、大輔に関するひねりが加えてあるので、これはこれで悪くない、とだけいっておく。

樺山三英『ハムレット・シンドローム』

『プリンセス・トヨトミ』とは対照的に、これは、一気呵成に読んでしまうと、訳のわからない印象しか残らないかもしれない。
三年前の夏、高校での「ハムレット」上演中、大詰めというところで、ハムレット役のコマツアリマサが舞台袖の窓から落下し、中庭の敷石に頭を打ち付けて重体となった。そして、意識を取り戻した時、彼は昔の彼ではなくなっていた。自分をハムレットだと思い込み、そのように振舞うことしかしなくなったのだ。大財閥である彼の実家は、人里離れた別荘に彼を封じ込めた。そして、彼のそばにハムレットの登場人物を仕えさせるようにした。そして、物語は、ローゼンクランツ役を務めることになったソフエヒカルが、城(別荘)を訪れるところから始まる……。
本作は、久生十蘭の短編を翻案した、という試みである。試しに原作を紐解いてみると、こちらは、「昔語りをする」形で物語られているため、物語は過ぎ去ったこととなっている。
一方、『ハムレット・シンドローム』は、最初は現在形で進行し、それが過去となって、後からさらなる過去が立ち上がってくる、という構成のため、眩暈を起す。
皆が視点を、侍女のヘソムラアイコに置くのは、彼女のブレが一番少ないからに違いない。へそのない、ヘビースモーカーの侍女。機械人形のように振舞う彼女が、一番人間らしく見えてくるのは、他の人物がエキセントリックで、逆に「芝居じみすぎている」からかもしれない。『ハムレット・シンドローム』というこの物語自体も、演じられた舞台である、という意味の台詞も最後の方に出てくる。眩暈は続く。
通常なら、読者は本を最後まで読み、終了させることができる。しかし、この物語の最後のボタンは「シャットダウン」ではなく「再起動」である。私たちは、「強制終了」しなければ、この迷宮から戻れない。怖い物語である。

日日日『ビスケット・フランケンシュタイン』

人類の間で、謎の奇病が発生した。その病に罹患すると、身体のあちこちが腐敗し始める。腐敗し死んだはずの細胞は増殖し、変容し、謎の構造物に置き換わってしまう。腐敗が進行すると、全身の衰弱によって患者は死に至るが、花水日景は、変容した患部のみを集めて継ぎ接ぎの美少女を作り上げた。深夜、彼女は動きだした。意思を持って……。
研究所を逃げ出した美少女は、脳の元の持ち主である死体に付けられた「ビスケット」という愛称から、ビスケと名乗る。
継ぎ接ぎの美しい怪物ビスケが、衰退していく人類社会の中で生きのびていく、これは、逃亡者の物語である。といっても、彼女に勝ち目は十分すぎるほどにある。彼女は死なない。傷つけられても再生する。それに比べて人類は、自らの遺伝子の設計図に描かれた滅びのコードによって、ゆっくりと終末を迎えようとしている。
疑似家族を作りかけたり、つかまって解剖されかかったり、人間を、時には助けたりしつつ、「わたくしはね、人間が好き。けれど、人間が絶対とは思わない」「おとなしく滅びなさい。覚えていてあげますからねえ-」と語る彼女。
そして、「好きだけど、絶対とは思わない」人類に対して、彼女は「覚えていてあげる」ために取った方法に、しびれた。暴力的で、かっこいい。怪物が「女性」というジェンダーを担うと、男性とは違った破壊力がある。
人類が滅び、しかし、ビスケが人類を「抱えながら」残る世界を見てみたい。そして彼女に言ってほしい。
「どうかお祝いください。ともにこの素晴らしい今日を」
2009年のSOG賞にこれを推した。1999年は「ビスケ」が誕生した年である。それから10年が経過した。人類は、作者が予想した未来に向かいつつあるのだろうか。

最終選考委員の講評

2009年度 第9回Sense of Gender賞 最終選考委員の講評

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