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2008年度 第8回Sense of Gender賞 講評

石神南(カフェ・サイファイティーク スタッフ兼ハカセ)

「破綻なく解決し、大団円で最後はメデタシメデタシ」な物語は、読む人を幸せな気分にしてくれますが、「ああ面白かった」と本を閉じた刹那、さっさと現実に戻ってしまって何も残らないことがよくあります。

一方、「物語のはじめから一緒に歩いてきたのに、こんなところで放り出されるの?」的なラストで締め括られる物語に対しては、釈然としない気持ちのまま本を閉じるのですが、中には、異世界に放り出されたまま日常に戻ることを許されない、でもそんな状態が不快ではない、という、少々腹立たしくも魅力的な物語が存在します。
今回のSOG賞最終候補作は「異世界に置き去りにされた。でもそれがそんなにいやではない」と感じる物語が多かったので、まだ、5つの物語世界を彷徨っているような気がしています。でも、そろそろ、ひとつひとつに落とし前をつけて、住み慣れた場所に戻るとしましょう。

ではひとつめ『伯林星列/ベルリン・コンステラテイオーン』。伊集院操青は、留学先のベルリンで、偶然の事故をきっかけに、彼に邪な愛情を抱く叔父によって、異世界である娼館に囚われの身の上となります。悲惨な境遇に落とされた操青は、倫落の身の上を抵抗しつつも受け入れて、闇の中に咲く極上の花となっていきます。やがて、救いの手が差し伸べられるチャンスが訪れますが……。

性の奴隷として調教されても、どこかしら健全な心を残している操青は、いっそ痛ましくうつります。その健やかさがかえって相手の獣性をそそり、踏みにじられる、だが、健やかな若さは、踏みにじられても、青草のように伸長し、その輝きは一時曇っても、失われることはない……。凌辱の限りを尽くすシーンの連続が、裏返ってさわやかな読後感を持つという、卑が突き抜けて行きつく先は聖、という不思議な読後感をぜひ、皆様に味わっていただきたいと思います。

操青はこの先どういう運命を辿るのか、というところで読者は放り出されます。舞台はナチス統治下のドイツです。これが正史に織り込まれたフィクションなら、操青の運命は大方の想像がつきます。しかし、この物語は「日本で二・二六事件が成功した」パラレルワールドで展開する物語です。彼の運命は誰にもわからないのです。

ふたつめ『秘密の新選組』。乳房を生やして女装し、隠密活動を行うための秘密の薬。その効き目は数日で消えるはずでしたが、ちょっとしたいたずら心から、服用方法を無視して大量摂取した(させた)ら、乳房が消えなくなってしまいました。それも近藤、土方、沖田といった幹部クラス5名の……。

コミックである本書は、「乳房を生やした新選組」の絵でまず、先制攻撃を仕掛けてきます。この破壊力で、物語の主導権は作者にがっちり握られ、私たちは先を予想することもできないまま、物語に引き込まれていくのです。

乳房を付けた男たちの性格が、もともとの性格によって、オトメになったり、情緒不安定になったりするところは興味深い場面です。女性=情緒不安定、のテンプレは好きではありませんが、「自分がこんなに落ち着かないのは、女人のような乳房が生えている=女性は感情で泣いたり怒ったりするから」と彼らが思いたがっているのか、薬が「ホールモーン」に作用したせいなのか、作者ははっきりとは手の内を明かしません。彼らが乳房を持っているとは知らない外部から見れば、ひとつひとつのエピソードは、男たちの集団のいざこざや軋轢など、実によくある出来事に見えます。その直接の原因なり遠因が乳房にあるとしても、それは史実には語られない、歴史=結果でしかない、そんな現実が浮かび上がってくるような気がしました。

結局、乳房は元に戻りません(外科手術で除去した者はいます)。そして、乳房以外は、史実に則った彼らの結末が語られます。そして、私たちは、乳房を持ったまま、奇妙な明るさで蝦夷地に向かうトシちゃんを、呆然と見送ることしかできないのです。

三つめ『仮想儀礼』。ゲーム作家への足掛かりを掴んだと思って都庁を辞めた後、奈落の底に突き落とされた鈴木と、彼の「加害者」に図らずもなってしまった矢口は、食べていくために「宗教団体」を立ち上げることを思いつきます。元役人で、説得力のある物言いができる鈴木が教祖に、女性の心に寄り添うことが天才的に上手い矢口が補佐役として、悩める人々の心を掴んでいきます……。

聖泉真法会に救いを求める人々、特に現代の若者の悩みや葛藤を、作者は確かな筆致で描き出しているので、読んでいて非常な胸苦しさを覚えます。特に、徳岡雅子のケースは、2007年度SOG賞『犬身』中でも扱っていた「兄からの性的虐待」を取り上げているだけに、そして、『犬身』でもこの物語でも、性的虐待は根本的には「解決しなかった」ことから、フィクションでも軽々しく解決を与えられない問題の重さを感じます。

実は、この物語は5つの中でいちばん「放り出され感」が少ない作品といえます。2人で立ち上げた宗教団体の栄枯盛衰、そして事件が起きて、後日談で語る静かなエンディングへと繋がっていきます。放り出されはしませんでしたが、ひっそりと「皆と帰りを待つ」ことにはなりそうです。

四つめは『女神記』。南の島の巫女であったナミマは、禁を破って島の男マヒトと通じ、身重の体でマヒトと島を逃げだしますが、ある思惑によってマヒトに殺され、娘を奪われて、死者の国に赴くことになります。そこで、黄泉の国の女神イザナミに仕え、さまざまな事柄を見聞することになります……。

女神が殺し、男神が産む(生ませる)逆転の構図が通奏低音として語られますが、かつて女神が産む性で、出産によって命を落とし、男神のひどい仕打ちによって復讐の女神に変貌する、という物語は、「神話」として、シンプルに力強く読む者の胸に迫ってきます。また、神話の形を取ったおかげで、数千年、どころか数万年もの間、人間の女が受けてきた苦難(赤ん坊の頭部が大きくなりすぎて、人類は、他の動物より難産が発生する割合が高くなったといわれる)と、それにまつわる男たちの「出産で命を落とした女を使い捨てる感」がストレートに語られていて、強い痛みを感じる作品です。

これは、かつて人間であった死者によって語られる物語ですが、主人公は女神です。彼女は人間と異なり、永遠に怨みの炎に焼かれながら黄泉の国の神をつとめるのです。その気の遠くなるような絶望は、「イザナミ様の蒙られた試練は、女たちのものでもあります。」と語られ、女たちの絶望と苦しみが永遠に続くことを感じさせて、私たちをその場に立ち尽くさせます。それは正しいのだと思います。安易な希望や解決策など、どこにも存在しないのですから。

最後に『ヘルマフロディテの体温』。ナポリ大学の医学生シルビオは、10歳の時行方不明になった母が3年後「男」になっていた、という過去を持っています。少年の頃、母が残した服で女装をするようになり、現在はルームメイトの女性の服をこっそり借りて身に付けてみたりしています。そして、思いきって初めて女装姿で外に出たとき、暴漢に襲われ、通りかかった両性具有者、医学部のゼータ教授に助けられますが……。

この物語で特筆すべきは、「フェミニエロ」の存在でしょう。女装者、トランスセクシャルなど「女になった男」を総称するナポリ方言とのことですが、彼ら、もしくは彼女らが物語を華やかに彩り、話を進めていきます。実は、物語を読み返して、フェミニエロの中でも「陽気なおばあちゃんたち」の出番が意外に少なかったのに驚きました。陽気な彼女たちの印象が、読み方によってはかなり陰惨な面を持つこの物語を、私の中で和らげたのかもしれません。

フェミニエロ達は、捨ててきた過去や身内や友人、といった様々なものを抱えながら生きています。そんな彼らの物語が、作中作(シルビオのレポート)として語られ、現実(?)の物語に神話めいた奥行きを与えているのです。

作中作として語られる魅力的な物語の中で、とりわけ凄絶なのはゼータ教授自身の物語でしょう。現在40代前半の彼の飄々とした風情は、地獄を経験した人間だけが持つものなのだと知ってから読み返すと、なんだかとても痛ましいものに思えてなりません。

「レポート」を作成することによって、シルビオは、母のこともあって(自分自身も含めて)嫌悪していたフェミニエロの中に分け入っていきます。そして、母に再会するラストシーン。

とても静かで美しい場面でした。でも、母は「そのまま」です。シルビオも、内面的には変わりましたが、そのまま教授の助手を続けるのでしょう。何も変わらない? このラストもまた、放り出され感が強いものでした。でも、私たちは放り出されても、彼らは彼らの物語を紡いでいく、そんな気がしました。この物語はひっそりと「そこにあるべき」で、無様な観客は、退場するべきでしょう。では、そろそろ浮世に戻ることにします。

最終選考委員の講評

2008年度 第8回Sense of Gender賞 最終選考委員の講評

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