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2007年度 第7回Sense of Gender賞 講評

柏崎玲央奈(ジェンダーSF研究会会員、SF書評家)

1.

  今回、2007年度センス・オブ・ジェンダー賞の最終選考委員を務めさせていただいた。最終候補に残った五作は、どの作品も興味深く素晴らしいもので、読みながらまた最終選考の場でほかの委員の方々と議論を交わしながら、いろいろと考えさせられた。貴重な機会をいただいたことを心から感謝したい。
SFやファンタジー作品には、その妄想の翼によって、いま私たちを縛っている何かから解き放つ力がある。自分はいま何がしたいのか? 何を欲しているのか? すべてのことはそこから始まる。作品のそこここからにじみ出る「女の欲望」を中心に、この五作を読んでいきたい。
以下は、柏崎が個人的に読み取ったものであり、作者の意図とはまったく無関係であることをご了承いただきたい。また、あらすじも書かず、ネタばれにはまったく配慮していないので、未読の方は注意して欲しい。

2.

  SFやファンタジー性は弱いが、須賀しのぶ『スイート・ダイアリーズ』には、「アラサー(アラウンド・サーティー:2007年に28歳から32歳であった女性たちを指す。アパレル用語。コギャル世代だった)」と呼ばれる世代の三人の女性の友情と、その行く末が描かれる。
フェミニズムを通過し、バブルが終焉し、これまでの家父長制、結婚制度や家族制度が崩れていく中で、何を人生の核として生きるのか、男も女も迷走している。本作では、そんな現代に生きる、高校時代からの友人同士である三名の女性の生き様がリアルに描かれている。不倫の果ての裏切りやDVを受け、交換殺人を計画するふたり。それを諫めつつ、母親の失踪という古傷と不妊の悩みを抱え、密かに失踪するひとり。サスペンスに属する作品であり、結末は明るくないが、現実に同じような悩みを抱える女性たちはたくさん存在するだろう。
アラサーやアラフォーと呼ばれる女性に対するかのように、近頃目立ってきているのが「腐女子」の存在である。「腐女子」とは「やおい」や「BL」と呼ばれる小説や漫画に描かれる男同士の性愛を特化して好む女性を総称する言葉である。女性が妄想した男性同士の恋愛を描いたもので、登場人物は男性だが、あくまで女性の女性による女性のための欲望を表現している。その発生はかなり古い。既存のキャラクターを利用したパロディ要素を含むものを「やおい」、オリジナルキャラクターを使用したものを「BL」と呼んでいる。「腐女子」とはいえ、現実の女性問題とは無縁ではない。『スイート・ダイアリーズ』の三人が遭遇するような問題に直面しつつ、性的ファンタジーの世界に上手に自らの欲望を逃している存在だと言えよう。

 今回、BL作品として、木原音瀬『WELL』寿たらこ『SEX PISTOLS』の二作品が候補に上がった。
BLでは、男性同士の恋愛を成立させるために、様々な設定やシチュエーションに工夫を凝らし、それにファンタジーやSF的設定が採用されることがある。前者はいわゆるディザスターもので、人類の男性以外の動物も植物もほぼすべて滅び、白い砂に覆われた絶望的な世界での男同士の愛憎を描いている。後者では斑類という人間型をして人類に紛れてはいるが、人類とは別の種を設定し、種の存続という名目の元、運命的に「番」が成立する状況を描く。
両者とも、ハードな性的描写があり、女性の性欲が端的に示される。
『WELL』では、喰うにも困る状況下で、使用人であったしのぶがケガをして助けが必要な亮介に下克上的に迫りセックスをする。「亮ちゃんに好きになってもらうこと」を唯一の希望だと言い、嫌がられていることを知りつつしのぶは亮介に献身する。
なぜ男同士なのか? については、様々な分析や考察が試みられているが、解はまだない。さらにBLではない候補作だが、松浦理英子『犬身』では犬を、TONO『チキタ★GUGU』では妖をパートナーとして採用しており、同性同士どころか異種でもかまわないことを予感させる。

 BLでは、女性という性が排除された中で、その性欲が表現されるかというと、そうでもない。その証拠のひとつに、「やおい」や「BL」において女体化(もともと男性であるキャラクターが身体的に女性になること)や、男性が妊娠出産をする作品が見られることが上げられる。
『SEX PISTOLS』では、それが顕著だ。斑類は数が少なく種を存続することを使命としている。そのため、男同士・女同士の組み合わせでも妊娠出産が可能で、妊娠を可能にするための「懐虫」などのガジェットが設定されている。連作短編的に様々な種の斑類が登場するが、その中でもハブとマングースという天敵カップルでは、お互いへの執着心を、妊娠・出産を用いて表現している。
『チキタ★GUGU』では、前半のメイン女性キャラクターであるニッケルが強姦の果てに妊娠・流産を経験するが、その強姦相手のキサスがニッケルを好きだったということが後に判明し、再び関係性を築いていく中で和解する。強姦の果てであれ、子を出産したかったというのニッケルの意志は、チキタのパートナーである妖ラー・ラム・デラルに引き継がれ、異種であり性別のない妖の妊娠・出産が最終巻で果たされる。
逆に、妊娠出産がまったく係わってこない作品が、『WELL』と『犬身』である。すがすがしいまでの排除っぷりは、逆にそれを意識していること(意識せざるを得ないこと)を伺わせる。
『WELL』は、男性同士の恋愛、しかも女性がまったく排除され、人類的将来の見通しも立たない中、BLの王道中の王道的に妊娠出産を排除し、「番」としての欲望、幸せを描くことを可能にしている。

 「恋愛、セックス、妊娠出産」…「番」ととる、この一続きの流れが、女性にとっての本能に根ざす性欲ではないかと柏崎は考えている。社会という制約の中で、この3つのうち、どこに重点を置くようにし向けられているのか。また自分自身の欲望であるかのように歪められているのか。その辺りを、まだまだこれからも見極めていかなければならないと思う。
現実世界での、その欲望と矛盾は、『スイート・ダイアリーズ』によく表されている。恋愛、結婚、妊娠出産を三人の女性に対して不均等に分配することによって、それを背負った女性たちの、容姿、友情、子育て、そして母との関係がどのように変化するかが描かれており、いずれの例でも共感を覚えずにはいられず、泣けてしまう。

3.

  いままで「番」となり「恋愛、セックス、妊娠出産」を果たすという欲望を中心に作品を見てきたが、この五作品に共通して登場するもうひとつの欲望がある。それは簡単に表すと「世話をされたい、したい」という欲望である。それは「恋愛、セックス、妊娠出産」の欲望とはまた別の欲望なのか? それとも一続きなのだろうか?

 その欲望はまず「食べること」と関連する。
『スイート・ダイアリーズ』では、三人の友情はまず、高校二年生のときにマフィンを分け合うことをきっかけとしている。それは最後の場面でも「スイーツ」が好きなことが女性の特質であると書かれ、重要なテーマであることが示される。
『WELL』では、食料がほぼない状態で人肉食に対する罪と罰の意識を描くが、その中で亮介との関係を保持するためなら、殺人も人肉食も厭わないしのぶの「世話をしたい」欲望が浮き彫りにされる。
『チキタ★GUGU』では、補食被食関係にある妖と人の中に発生する関係を描く。自分のパートナーである妖オルグのためなら大量殺人も厭わない人間クリップや、人を喰うことを止めた妖ラー、自分を食べて欲しいと願う人間ニッケルなどを描き、食べることをめぐる様々な欲望を描く。
『WELL』や『チキタ★GUGU』は、人肉食というショッキングな題材を扱うことによって、「生きるためにはほかの生物を食べなければならない」という当たり前にして避けようのない事実を強調し、さらに「食べたい」という欲望だけではなく「食べさせたい」「食べられたい」という欲望も、同様に発生してくる様子が描きだされている。

 「恋愛、セックス、妊娠出産」という欲望を「番」とのものだとすると、「世話をされたい、したい」は「群れ」との欲望だと思う。
いま、男性向け美少女ゲームと同様に、女性向けのアドベンチャーゲームが存在する。男女恋愛をシナリオにしたものを「乙女ゲーム」、男性同士の恋愛をシナリオにしたものを「BLゲーム」という。
そのアドベンチャーゲームは、同じ登場人物に対してさまざまな結末が用意されているが、バッドエンドのひとつとして、廃人と化したパートナーと一生寄り添って生き続けることになる「介護エンド」と呼ぶべきようなエンディングが存在する。またそれを「ベストエンドである」と主張し、特に好む女性たちがいる。
『WELL』は、そのバッドエンドの様相を示す。「好きな男」亮介の世話をするしのぶの献身は、狂気として登場人物たちに捉えられるが、追いつめられた状況の中で、亮介を始め、みなそれを受け入れていくしかない。悲惨のひとことでしかない状況だが、好きな男の世話を思う存分することができるしのぶ自身はやはり幸せそうで、なかなか賛同は得られないかもしれないが、この話はゲームの「介護エンド」同様、ある種の人々にとってはハッピーエンドなのだ。
『チキタ★GUGU』では、人工的に作られた妖ラーは、最終的に生まれながらにして病を抱えた「もとの姿」に戻ることを選択する。食事を取ることさえもつらく、排泄物を垂れ流すしかない、苦しむだけのために生きているようなラーを、チキタは自分の睡眠時間食事時間を削って世話をする。育児と介護が合わさったような、この結末はとても印象的であり、「醜い」とされているラーの真の姿をとても可愛いと感じた。
『チキタ★GUGU』のそもそものテーマは、一〇〇年を経ておいしくなると言われるまずい人間と一緒に過ごすことを決意した妖の話である。世話をされ、世話をしながら、ともに生活することが重要なのだと、この作品は主張する。
『犬身』も同様である。性的な欲求ではなく、梓のそばに一緒にいたい、一緒にいる犬になりたいという欲望のために、フサは変身する。

4.

  そして、問題となるのは、「番」を作るための欲望と「群れ」を作るための欲望の両立である。
この、ひとつ間違えば、狂気にもなりかねない、押しつけがましいまでの「世話をされたい、したい」という欲望の源にあるのは、間違いなく「母」だろう。
自分自身にも備わってしまっている「母になる」=「群れをつくる」という能力、そして「母になりたい」=「群れをつくりたい」という欲望……それは呪いか福音か。「母」のつくった「群れ」から離れて、あらたに「群れ」をつくる。それが自立なのだろうか。それだけで自立できるのだろうか。

 女性の「恋愛、セックス、妊娠出産」したいという欲望の結果生じる子どもは、もちろん「世話をされたい、したい」という欲望を満たしてくれる存在だ。家父長制、結婚制度や家族制度を、女性自身が支えている面はあるのだろう。
それが端的に表れているのが『犬身』の、主人公であるフサが犬となって仕える梓の母である。梓と兄の近親相姦が、どうしても目立ってしまうが、それは母のために家族という「群れ」を保とうとする梓の消極的な働きかけだったのだ。
『スイート・ダイアリーズ』『チキタ★GUGU』『SEX PISTOLS』では、自らが「母」になること、つまり新しい「群れ」を生殖によって作ることで解決している。特に『SEX PISTOLS』では、性的関係も維持され、また斑類という特殊性もあり、縁戚同士のつながりが強く、女性にとって理想的な「番」と「群れ」が成立していると言えよう。『スイート・ダイアリーズ』では、家族という「群れ」をつくったものの「番」の崩壊とともに壊れていくさまや、女性たちの母の意識が反映している様が描かれる。『チキタ★GUGU』は、チキタとの「番」から「群れ」を作っているが、そこには、母的にラーに接していたニッケルの遺志が強く反映されている。

 その一方で「番」を優先させているのが『WELL』である。繁殖もままならない世界で、「母」になることを徹底的に排除し、「番」である男性に対してふたつの欲望をぶつけており、こちらも女性の欲望にかなり忠実な世界を作り上げている。
今回の候補作ではないが、子どもがありながら「番」であることを最優先させている作品も見られる。ひとつは、やはり木原音瀬の『さようなら、と君は手を振った』で、息子をきちんと育てるものの、愛人の男性を常に優先させる父親の姿を直球で描く。また森博嗣は《Vシリーズ》で、愛する男性のためなら息子を殺すことも厭わないと考えている母親を描いている。母性礼賛の意識が強い日本において、ものすごく挑戦的な作品たちだ。
『犬身』でも、異種同士であるから「番」の欲望に無関係なことは同様である。しかし、憧れの梓と一緒にいたいがために、女性から雄犬に変身したフサは、フサを犬に変えた人外の存在であるバーテンダー朱尾によって、梓に性的に欲情するかどうかを試される。その関門を突破し、最後に梓をとらえていた「母」が自滅したあと、梓とフサは新たな「群れ」をつくる。

 このように作品を見ていくと、すべてが関連し有機的につながっており、一作品とも欠かすことができないと、しみじみ思う。
ただ、この中でも、「母」との関係の解消を「番」を求めるのではない方法で解決し、また「番」をつくる欲望と「群れ」をつくる欲望の間を見つけようという試みがなされている『犬身』を、大賞として選びたい。

5.

  自分はいま何がしたいのか? 何を欲しているのか? それがわかったところで、果たすための最適な解はないし、この現実で果たすことは、本当に不可能なように思える。けれど、まずこの欲望をフィクションではあっても、忠実に表現していくことで、突破口が開けると思う。もっともっとみんな自分の欲望を解き放つといい。そんな作品が読みたい。
さて、講評ともなんともつかない文章も、そろそろ終わりに近づいてきた。
最後に、全作品の個人的に好きなところをあげておきたい。
『SEX PISTOLS』は、もともとBL作品として好きな作品で、一時候補作にあがって、正直ぎょっとした。男らしい男たちが躍動的に描かれているこの作品の恋愛模様は「可愛い」のひとことで、何度読んでもきゅんきゅん来る。最新作では、主人公の恋人の親である母親×母親カップルの話が展開されており、このあとも、SF的にどこまでやってくれるのか、期待が高まる。
木原音瀬も、もともと大好きな作家で、『WELL』はSFだ! 2007年度だ! もうこんなチャンスは二度とない! と、最初の段階で候補に入れたのは私です。BLの中でも「極北」と呼ばれるぐらい極端な設定を持ってくる(太った年上の性格が悪い上司に惚れてしまうとか、30×50のカップリングとか)ことで有名だが、非常に人気があり、どれを読んでも最後にはキャラクターたちが可愛くて愛しくて堪らなくなるという不思議な魔力を持っている(しのぶ…可愛くないですか? そうですか…)。
『スイート・ダイアリーズ』は、ライトノベル作家として著名な著者が挑戦した非ファンタジー作品で、本家の《流血女神シリーズ》と同様、力強くリアルに胸に迫ってきて、涙なくしては読めない。
『チキタ★GUGU』も、泣ける作品だ。子育てを経験した身として、ラーの最後の姿は乳児脂漏性湿疹に覆われた娘を思い出して可愛くて可愛くてならなかったし、また自分のこと、友人のこと、知り合いのこと…様々ないくつかの幼くして失われた命のことを思い出して泣けた。
『犬身』は、もちろん少しでも犬と暮らしたことのある人間は、必読・必携の本だろう。もう最初に読んだ瞬間から、犬好きはまっしぐら、釘付けだ。
本当に、どの作品も愛しくて堪らない。『犬身』を始めとして、五作すべてに目を通していただき、同様に萌えていただけることを願って、筆を置く。

最終選考委員の講評

2007年度 第7回Sense of Gender賞 最終選考委員の講評

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