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2006年度 第6回Sense of Gender賞講評

香山リカ(精神科医)

『赤朽葉家の伝説』

女性三代の壮大な物語。祖母からその娘、孫と次第に「私って誰?」という同一性への疑問や内面化が進むところが、とてもリアル。祖母や母の“飛びっぷり”に快哉を叫びつつも、実は気骨も超能力も才能もない孫娘が自分の力でそろそろと立ち上がり、歩み出す姿に共感する女性が多いのではないだろうか。表面的にはジェンダーフリーが実現され、闘う相手が見えなくなった現代女性は、今度は自分自身と戦わなければならないのだ。

『ラギッド・ガール―廃園の天使2』

ここまで同性から「醜い」と言われる阿形渓。ところが、彼女だけが持つ特殊な能力のゆえに、そしてその「醜さ」のあまりのユニークさのゆえに、いつのまにか読者は、「醜い」というのが侮蔑語ではなく、個性のひとつを表現する形容詞さらには賛辞のようにさえ錯覚するようになる。「ラギッドであること。一様でないこと」、そしてそれを完璧に知覚的に把握できる阿形渓をジェンダー的に解釈するのは、きわめてむずかしい。しかし、ジェンダーの奥深い問題が、阿形の肉の襞の奥に隠れている。そんな陶酔や眩暈を感じさせてくれるSFの傑作。

『だいにっほん、おんたこめいわく史』

一読してもなにがなんだかさっぱりわからない、でもこの口調、このテンポにひとたびハマれば、アハアハと笑い出して止まらなくなる。反権力を自称しつつ、実は自分だって十分独裁的な「おんたこ」とは何ぞやまあ、そんなカタクルシイ話はさておいて、ひとまず言葉の力やリズムに笑える幸福に身を浸そうじゃないの。

『銀のヴァルキュリアス』

どこにでもいるフツーの高校生だった琉花が、突然、飛ばされたのが「女が男を支配する世界」。最初は途方に暮れている琉花だが、男性の“奴隷”をあてがわられ、彼らを「守ろう」という使命感が生まれてくる。そしてさらにその使命感は、身近な人ばかりではなくて、より広い社会を救おう、守ろう、という使命感にまで次第に育っていく。だからといって、その使命感は「私がこの社会の支配者であるぞよ」といった大仰なものではない。あくまで「そうなっちゃったから」と受け身なものにとどまっているところが、またよいのだ。

映画『日本沈没』

かつての「日本沈没」では、あくまで陰で男性を支え、男性に守られるだけであった女性たちが、今回は全面的に表に立ち、男たちを国土を守ろうとしている。指揮を取る総理大臣もこれまた女性。何のため?…そう、愛のため。でも、女性だからといってただ「愛のため」にだけ、立ち上がっているわけじゃない。かといって、名誉や見栄のためにでもない。では、何のために彼女たちはあれほど、がんばるのだろう。その答えは、きっともうすぐ見つかるはず、という希望が、再生に向けて立ち上がる日本社会の姿と重なる。

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