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2004年度 第4回Sense of Gender賞 講評

とりこ(ジェンダーSF研究会会員、レビュアー、Exiciteブックス作家ガイド欄担当)

《第四回センス・オブ・ジェンダー賞の選考に寄せて》

 このたび最終候補に残った5作は、長編小説、短編小説集、映画(小説原作の映画化)、漫画、評論とそれぞれ分野も異なり、二重の意味で難しい選出となりましたが、わたしは粕谷知世『アマゾニア』(中央公論新社)を大賞に推しました。

 『アマゾニア』、このタイトルからは「アマゾネス」という語が想起されます。これは密林に住む「女だけの未開の部族」、「女戦士」として広く知られる語です。このため「男性向けお色気サービス」的な意味が付随しやすい語ともなっています。
 タイトルのとおり、ストレートに「オンナだけの未開の部族」の「勇猛な女戦士」を主人公に据えた本作は、良質なジュブナイルと呼びたくなるような、主人公の成長を健やかに描く、爽やかな印象の作品です。かといって「性的」であることを排除した作品でもない。回避されるどころか、むしろ中心的なテーマのひとつとして、積極性を持ち堂々と描かれています。
 
 「女性」が「戦う」(しかも、密林の部族であるために半裸で)という設定は、それだけですでに男性を「喜ばせて」しまう可能性をもっています。そして「(女性が)男性を喜ばせてしまう」という、この短い文脈にすら宿りうる、「不道徳さ」、「色事」、「タブー」といった気配。
 そもそも「色事」「不道徳さ」、また文章の主体である「男性」「女性」「喜び」といった単語は、それぞれ独立した語です。付随するものや、言葉同士の関係性を(文脈)そぎ落としてしまえば、単語自体は思想性をはらまないものです。
 ですが、言葉は、ひとつひとつ単体で日常の中に存在するものではありません。常に周囲の要素と結びつき、文脈の姿をとり、「意味の通る」「わかりやすい」ものとなる。しかしその「文脈」のなかには、単語の意味すら別のものにしてしまうさまざまなものが潜んでいます。そしてまた、文脈を含めた単語そのものから連想される、さらなる何かの入り口としても機能しています。

 喩えれば「ぱんつ」という語は、一部の読み手にとっては、すでに「ぱんつ」と平仮名で書かれた時点で、男性用下着を意味する可能性はほぼなくなってしまいます。男女どちらの下着であるかはまだまったく明示されていないにもかかわらず。どのような年代の女性の下着かすら特定されてしまう、かもしれない。単語のひきずる印象、「連想」はそのように文脈をもある程度規定してしまうことすらあります。

 現状では、性的な事象は、女性性の尊厳を貶める文脈や、「オンナ」というものを一方的でステレオタイプなものへ回収したり、規定してしまいやすい社会的傾向があります。というより、社会的傾向を文脈が反映しているともいえるでしょう。しかし本作は、タイトルのその印象を、むしろ逆説的に用いています。
 もし言語が中立なら「男戦士」という言葉があってしかるべきですが、そうではなく、そういった現状を憂えたり糾弾したりすることは本稿の意図ではありませんが、この作品において、「余計な」意味を付与されがちな「女戦士」という設定、そして作品のタイトルがどうしても連れてきてしまうもの、そのような何かについて、作品内で、ときに「まったく語らないこと」により、あるいは開放的に陽の下にさらすことにより、あるいは別の文化圏という「別の価値観」をもちいることによって、巧みに読者を誘導し、その「何か」の「印象」の強さにジャマされて、普段見えにくくなっているものを、ひとつ、見えやすくしている。このような印象をわたしは受けました。
 とても爽快感のある読後感でした。

 本作は、タイトルがはらむ印象、「男性へのサービス」的な期待を裏から切り返すような女戦士を描いた作品です。且つ、男性向けサービスは排除しつつ、読者サービスはたっぷり盛り込んだ、ぐいぐい読ませる楽しい物語となっています。
  ここで「排除されたもの」、すなわち「半裸の女戦士」という設定が連れてきてしまうものは、たとえば「男性向け消費財として供される女性の媚、お色気」です。見えにくくなっているものとは、男性向け消費財的なお色気、という色を抜いたあとになお宿る魅力です。原始の部族を描くにふさわしく、原点回帰でありつつ、同時に非常にフレッシュです。化学調味料に慣れた舌が、麻痺していた味覚を取り戻したような印象もうけました。

 作品の中で描かれている女性性は、上からかぶせられたイメージを押し返し、本来の新鮮な言葉として立ち上がる力を持っています。ジェンダーについて書くことは、書き手のモチベーションにもよるかもしれませんが、肩に力が入りやすく、必要以上に熱くなりがちなテーマのようにも思います。ジェンダーにこれだけ正面から向き合いつつ、さらりと軽やかなすがすがしさを感じさせる本作は、センス・オブ・ジェンダーというこの賞にたいへん相応しいとわたしは思いました。
 また、いわゆる「萌えキャラ」の役どころである、美少女の精霊「森の娘」は、機嫌のいいときはそれは素晴らしい美少女ですが、不機嫌な折は、それは恐ろしい悪霊となるという二面性を持って描かれています。しかも、「二重人格」のような、責任の取れない状態ではない。ときに機嫌を損ね、民にいさめられることがあっても、その極端な性格(「気分の変わりやすさ」は、女性の悪しき特徴としてしばしばいわれますが、「悪」かどうかというのは本来、一方的基準に過ぎません)は、「キチガイ」扱いされるでもなく、周囲にそのまま受け入れられています。

 物語に少し触れると、主人公「赤弓」は、身体能力に優れ、長身で勇猛な戦士(の部隊長)です。戦士としての自己を極めるべく努力を怠らず、結果的に、部族の仲間だけでなく、男性を含む他部族からも、一目置かれる人物です。
 物語は、彼女の冒険、自己探索を通じ展開します。彼女の性格は、彼女の身体的特徴(体が強く、戦士である自分に対しての自負や、喜びを感じていて、そこにアイデンティティもある)に自然にリンクしていますが、物語の視点は、彼女が「このようにふるまう彼女がどのように可愛らしく、あるいは色っぽく見え、そのように周囲に評価されるか」などではなく、彼女が何を考えどのように行動するか、という、彼女自身、そして彼女の人間的成長に主眼が置かれています。
 「女性であること」は必ずしも「性的であること」とイコールではありません。「性的であることに積極的である」ことが、必ずしも「女性性の肯定」ではなく、同時に「性的に消極的であること」は「女性性の否定」でもない。これは、女性にとってはごく自然な心理展開ですが、男性視点からは、非常にしばしば混乱されがちです。また、性的に開放的であることと「放埓」であること、あるいは「淫乱であること」は異なることで、これらもすんなりと描き分けられています。そのような点も、読んでいて自然で、心地よく感じました。

 女ばかりの集団において発生するだろう色々な問題も、例えば赤弓の暮らす、女だけの「泉の部族」の日常描写などで、折に触れ指摘されています。
 ただ、それらは指摘にとどまり、「どちらかが正義である」的な主張を読み手に押し付けるものではありません。読み手に対し攻撃的ではない、穏やかな印象をもたらしていますが、かといって同性への甘やかしでもなく、突き放しや逃げでもなく、既存の価値観に安易に流されたものでもない。ここでも、バランス感覚に優れた作品であるとわたしは思いました。

 前年の受賞作である笙野頼子『水晶内制度』に続く受賞作としてみても、嬉しい作品であるとわたしは思いました。
『水晶内制度』は従来の表現形式への挑戦や既存の価値観の打開、痛烈な社会風刺など、重層的で多義的な純文学であり、『アマゾニア』は主人公の成長物語である、という構成上の違いがあり、このため安易に比較することはできない部分もあります。ですが『「水晶内制度』のエッジの鋭さ、きわめて高い破壊力・攻撃性がゆえに読者を選ぶという性質を思うとき、『アマゾニア』は同じテーマに別の方向からアプローチするありかたをひとつ示す作品でもあるように思いました。

 結末は、さらなる物語への示唆、ふくらみがある。豊かなエンディングだと思います。ジェンダーを考えることは必ずしもヘテロセクシズムを否定することではないと思いますが、母性回帰、異性愛に回収されてしまうように読めなくもない。しかし、それらを併せて考えても、やはり大賞に推したい作品だと思いました。

 残りの候補作についてですが、まず特別賞となった川原泉『ブレーメンII』全五巻(白泉社)は、穏やかなタッチの作風が活きた、配慮のあるやさしさがうれしい作品でした。SFを描くことや、ジェンダーに対する配慮、他の生命に対しての謙虚で誠実な配慮があり、さらに『アマゾニア』と同じく肩肘張らずに、また女性性をむやみに強調することもなく、しかしジェンダーのセンスを感じさせる、一粒で何度も美味しい素晴らしい作品でした。
 振り返れば、すでに十五年以上、川原作品を読んできましたが、そのことは私自身の(そして多くの読者の)血となり肉となっています。このような素敵な作品を今後もたくさん、描きつづけていただきたいと強く願います。

 小谷真理『エイリアン・ベッドフェロウズ』(松柏社)は、評論という分野ですが、賞の性格・方向性という観点からは、まさに大賞を射抜くに相応しい作品であるとも思いました。
 現代社会は、家庭以外の場所においては、男性(あるいは、女性性を排除した状態)であること=人間であること、という基盤の上に成立しています。「エイリアン」の表彰するものに社会における「女性」を読み取るという視点、これに「ベッドフェロウズ」を添えた、センス溢れる表題は、すでに、タイトルだけで、この優れた評論集のきりくちをひとことで表現しています。
 内容も、硬軟取り混ぜた、読み心地のいいものから硬いものまで、いずれも読者に「自分の頭で考える」ことを要求する読み応えがあります。レビューについては、未邦訳の面白そうな作品紹介も多く言及があり、興味深かったです。この労作を特別賞という形で評価することができ、たいへんほっとしています。この本が多くの読者の手に届くことを願います。

 〈森奈津子短編〉は、『からくりアンモラル』『電脳娼婦』『ゲイシャ笑奴』と短編集3冊併せてとのことでしたが、どの作品ということではなく、森奈津子という作家に賞をどうか、というようなお話もありました。
 町の大衆食堂でフツーのメニューのような顔でさりげなくへんなスパイスを入れ続けるような森氏のありかたを評価するチャンスだ、とも思いましたが、結果的にこのたびは見送ることとなり、残念です。
 とくに『からくりアンモラル』はタカノ綾氏による挿画も含め、ほんとうに大好きな短編集です。今後も、愉快でスパイシーな作品をたくさん生み出してくださることを願います。

 映画『下妻物語』(中島哲也監督作品)は公開時に映画館で観て、とても楽しみました。ポップでキャッチーな、エンタテイメントとして秀逸な作品です。エンタテイメントとしての映画にとくに不満はないのですが(むしろ好きです)、ただ、ジェンダーという観点からみる場合、嶽本野ばらによる原作のラストと異なることや妊娠のメタファーの扱い方など、ジェンダー的配慮が感じられるようには思えず、この映画はセンス・オブ・ジェンダーというこの賞とは別の形で評価するほうがよいのではないかと考えました。

  以上、選考の末席に参加させていただき、本当に光栄でした。楽しかったです。

最終選考委員の講評

2004年度 第4回Sense of Gender賞 最終選考委員の講評

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