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2001年度 第1回Sense of Gender賞 講評

柏崎玲央奈(SF書評家)

 個人的な話で恐縮だが、おととしの冬に流産した。日頃から10%はあるよと生物の授業で生徒たちに教えている、自然に起こる流産だったようだ。染色体か遺伝子に異常があり、胚が上手く育っていなかったらしい。科学的にそういうことだと理解はしていても、経験というものはまったく別もので、町のおっさん医師との対決や、点滴を受けつつも痛む体との戦いを通して、ケイト・ウィルヘルムや『侍女の物語』の世界はSFではなく、単に現実を描いたのだと知ることとなった。個人的には、せっかく宿った生命なのに、自分の体がそれを排除しようという方向にしはたらかず、どうやっても押しとどめることができなかったのが、ショックだった。生まれるときは生まれるのだし、ダメなときは何をやってもダメだという、ひとことで言ってしまえば「運命」を、自分の無力さを、思い知らされた。

 茅田砂胡〈スカーレット・ウィザード〉シリーズ(中央公論社)を読んで、不本意ながら吐きそうになってしまったのは、この経験のせいだ。この物語はスペースオペラであり、作者があとがきで書いているように、ハーレクイン・ロマンスだ。超人的なヒーローヒロインが活躍する物語である。ところが、いままでのスペースオペラとはまったく異なり、願望を充足するのは女性である。主人公ジャスミンは、恋愛(?)、妊娠、出産、子育てに、その異様な超人的能力を発揮する。

 私が気持ち悪くなった場面は、妊婦のジャスミンが、通常の人間でも絶対助からないような高いGに母子ともども耐え抜くところだ。そんなことあるわけない。普通の人間ができるわけない。そりゃそうだ。でも何が悪い? 願望充足でなくて何のための科学の力、何のためのSF。自然や運命に逆らい、押しとどめる力を描くこと。それこそSFの原典ではないか。この物語には、私たちが遙か彼方に置き去ってしまった、SFの持つ原初に満ちあふれている。残念ながら、卑小な私という個人は、いままだジャスミンが、ただただうらやましくてたまらないのだけど。

 一方、〈星界〉シリーズの生殖に対するアプローチは、〈スカーレット・ウィザード〉とは対象的だ。それは、アーヴが人工生命体であり、性別 にあまり意味がないことによる。アーブは人工子宮より生まれ、遺伝子操作も受け、子育てもしたい人がする。  特に『星界の戦旗III』では、支配下にある惑星に女性の子育てに強くこだわる領民を登場させ、それと「父親が育てればいいじゃん? 人工出産できるよ?」とあっさり言うアーヴを対峙させることによって、私たちが現在とらわれているジェンダー観を浮き彫りにする。しかも、その領民のうち、女性による子育てにこだわっているのは、当の女性ではなく男性の方なのだ。

 『星界の戦旗』は、アーヴという特殊な、けれども人類に連なる種族の描写を通じて、さまざまな〈家族〉の形態やあり方を問うシリーズで、今回ぜひ大賞に推薦しようと思っていた。が、しかし、てっきり?~?で完結と思っていたら、あとがきによると?~?はディアーホ(ジントとラフィールの飼い猫の名)3部作であり、それは非公式なものだった。がーん。ここまで推薦しておいて何だが、センス・オブ・ジェンダー賞は、その年に完結した作品にえられるので、『星界の戦旗?~?』は対象外ということになる。いやはや、たいへん申し訳ない。完結の暁には、必ずや強力にプッシュし、大賞を受賞させることをここに確約したい(が、はてさて、それはいったいいつになるのだろうか?)。

 というようなわけで、今回は〈スカーレット・ウィザード〉を、ぜひ大賞に推薦したいと思う。

最終選考委員の講評

2001年度 第1回Sense of Gender賞 最終選考委員の講評

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