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2011年度 第7回Sense of Gender賞 海外部門 大賞

大賞 N・K・ジェミシン 『空の都の神々は』佐田 千織訳(早川書房)
Winners of the Sense of Gender Award in Translation 2011
N.K. Jemisin, The Hundred Thousand Kingdoms

立花眞奈美(SF同人誌「科学魔界」編集)

 三人というのはキリスト教では最も調和のとれた数といわれているが、本当だろうか? と思うことがある。
 なぜなら三人いれば一人ははみ出してしまうことがあるからだ。

 N.K.ジェミシン作のこのお話も三人だ。男二人に女一人。最初に男神が二人いて満ち足りた生活(神様だけど生活でいいかな?)をおくっていたところに三人目の黄昏の女神が生まれた。光と闇の中に別のものが入ってきたのだ。その生き生きとした姿に闇は惹かれ、闇を奪われた光は三人目を憎んだ。そして激しい戦いがあり、光の神が勝利し黄昏の女神は殺され闇の神は永劫の罰を受けている、そんな神話が生きている世界が舞台になっている。天空の父と呼ばれる光の神が統べる世界、その中心に空に向かって聳えるように建っている宮殿があり王が一族の血を引くものだけを侍らして住んでおり、また宮殿の中に入るには額に許された印を付けなければならない。そんな宮殿に一人の娘が呼ばれて辺境からやってくる。王の孫ではあるが今まで無視されており、なぜ呼ばれたのかわからない、また両親はなく父は病で倒れたが母の死には謎がある。娘イェイナはその謎を探ろうと思っていた。

 いくつかの対比がある、三人と言ったがイェイナが呼ばれたのは次代の後継者選びのためだったが後継者候補は三人いた。男一人に女二人ではあるが2対1だ。また王国は女性の後継者を認めてはいたが家父長制を敷き、イェイナの育った辺境は女が上位の世界である。スカイと呼ばれる宮殿では頽廃した貴族世界だがイェイナの領地ダールはいささか変化してきているとしても戦士の世界だ。そして復讐劇がある。神が神に対しての、娘が父親に対しての。

 三人という数字の不吉さはこれから起きる争いを予感させる、神々の戦いはそれがまるでサークルクラッシャーのような女神の登場だろう。だが候補者三人では一人の男はクラッシャーにはならない、初めから勝負を諦めて怠惰な生活に耽るだけだ。では男は壊したりしなくて女は壊すものなのか? 男は陰謀をめぐらせたりせず、女はもう一人の候補者シミーナの様に権謀術数をめぐらせるのだろうか?そんなことはないはずだ、男も策略を巡らせるし、女も諦めて鬱々と暮らすだろう。でも女が謀をする方が陰湿に見えるし、男がぐだぐだしている方が弱々しく見える。はっ、女はもともと弱々しいものなのか?  また王国の家父長制貴族世界と辺境の女性上位戦士世界はどうだろう、いかにも対比させるにはいい、イェイナがスカイにやって来てからの混乱ぶりがよくわかる、まったく違う文化なのだ。

 イェイナの母キニースは王のひとり娘で溺愛されていたように見える、またその父の気質を良く継いでいたとも書かれている、彼女がスカイにとどまっていれば世継ぎは彼女のはずだった、だがイェイナの父になる辺境の男爵と恋に落ち駆け落ち同然というロマンスになっているが、王宮を離れ辺境に来て娘を生み、夫を病で亡くし、自身もその後継者選びの始まる直前に死んでいる。いや、彼女が死んだために別の候補者が必要になったのかもしれない。イェイナは母が辺境の男を夫に選んだ理由も候補者選びの終わりに知ることになる、なんとも言いがたい、娘が父親に対しての復讐がそこにあった。

 いくつもの対比があり、いろいろと考えが浮かんでくる作品でした。男二人女一人というところはドリームスカムツルーを思い出したり。
 読み返すとまた新しく気づくところも在る作品でした。

大串尚代(慶應義塾大学文学部助手、ジェンダーSF研究会会員)

 スカイを支配するアラメリ家の血を引く主人公イェイナは、アラメリ家出身の母親の駆け落ちにより、母方の一族とはほとんど絶縁状態であった。母の死後、とつぜん一族に迎え入れられたイェイナは、祖父デカルタの命により、自らの叔母・叔父であるシミーナとレラードとアラメリ家当主の座を巡る競争に参加させられることになってしまう。

 一族の権力闘争が物語の基盤になっていますが、そこに重なるように神々の権力闘争と人種的な階級問題(階級闘争)の問題描かれているため、物語にかなりの奥行きがあるように感じられました。

 作者が黒人女性であることは翻訳の帯にも明記されていましたが(「黒人女性作家が描く、愛とチカラと復讐の新しい神話」)、作品内でも階級と人種の問題がかなり前景化されているように思われました。たとえば「合法的な仕事をしている何人かの純潔族、半血族、四分の一足は、しばしば宮殿を離れて――」(95頁)などにみられる血の割合については、黒人と白人の混血を示す その“mulatto(二分の一), quadroon(四分の一), octoroon(八分の一)”といった用語を思い出させますし、また同じくスカイにとどまれるのはアラメリの人間だけであるにもかかわらず、結婚しない両親から生まれた私生児は召使いの地位になる、という設定は、プランテーションにおいて白人の奴隷主を父に持ちながらも、母親が黒人であるがゆえに奴隷の身分に置かれるといった、奴隷制度内部における血族のありかたを示唆しているように思われるのです(もちろん私生児と奴隷は厳密には異なるのですが…)。

 そのアラメリの一族のありかたと、神々の階級闘争が組み合わされ、いかにして敗者(あるいはハンディを負うもの)が既存の制度を転覆させていくかといった問題、また母・娘の問題が組み合わされており、読み所の多い作品でした。
 それゆえに、物語の設定が少々複雑になっているところもあり、一読しただけではこの物語の世界を理解できたか少々不安が残りました。

おのうちみん(Webデザイナー、ジェンダーSF研究会会員)

 読書会やったくらいなので思い入れが大きい作品なのはたしか。この作品も2012年10月、続編『世界樹の影の都』(未読)が出たが、まったく別の時代の話なので個別評価でよいと思う。

 ジェンダー的にはダールの社会がすぐ目を行くが、アラメリの世界がDV被害者女性の目指した秩序と安定を求める社会だった、というラストのどんでん返しが、非常におもしろい。近代の女性=自然・無秩序・混沌/男性=科学・文化・安定という概念に対する皮肉だし、安定と変化のような対立構造では結局うまくいかない。  相手を支配する/支配される、ではなく相手を受けて自分を変えていく、相互にフィードバックしていくような変化の関係が肯定的にしかも美しい描写で書かれているのが気に入っている。

 こうゆう「相手にあわせて自分を変える」ことは、自立していないとか依存とか、特にフェミの文脈では否定的に言われることが多いが、実際それが必要なこともあるし、悪いことばかりではないはず。もちろん相手によって、だが。一種受け身の姿勢も肯定的に描けるのは著者が黒人というのもたぶん関係しているだろう。西洋白人社会から発祥したフェミニズムが見落としがちな、イェイナのようなしなやかさの生き方をもっと評価したい。

小谷真理(SF&ファンタジー評論家)

 新世紀に入ってからデビューし、2010年に本書の長編第一作を上梓したアメリカ黒人女性作家による、目の覚めるような異世界ファンタジー。久々にスケールの大きい、しかも一風変わった神話的物語を造り上げている。

 主人公・イェイナは、19歳のうら若き乙女。遠い昔宮廷を出奔した母が辺境の小国で暗殺されたため、祖父の治める都市スカイへと招かれる。スカイの首長の直系の跡取りとして唯一の存在であるために、跡目争いに巻き込まれ、さらに母の死をめぐって犯人捜しと復讐に乗り出す。

 そのままいけば、大河宮廷ロマンという筋書きになりそうなものだが、この世界では、神と人との距離が非常に接近している。たとえば、夜の神は、永遠の時を生きながら、主神の末裔たる人間の一族に奴隷として仕えなければならない。このため、人と神のかけひきが、複雑なる支配・非支配関係になり、怪物モノや吸血鬼ロマンスにも通じる妖しさが醸し出される。このあたり、黒人で女性であることを、すなわち二重の抑圧システムを知り抜いた視点から考察されているのではないか、そうした歴史的体験が若い世代と古い世代間に相違を生んでいるのではないか、と思われる箇所も散見され、非常におもしろかった。また、主人公の一人称に、アッと驚く仕掛けがあり、神話的物語の底知れぬ深さも印象的だった。

2011年度 海外部門 最終選考作品と講評

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