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2010年度 第6回Sense of Gender賞 海外部門 最終選考作品

マーガレット・アトウッド『オリクスとクレイク』畔柳 和代訳(早川書房)
Margaret Atwood, Oryx and Crake

石神南(カフェ・サイファイティークスタッフ兼ハカセ、ジェンダーSF研究会会員)

「終わってしまった世界を嘆きながら生きる」

 本作を読みながら眠りに落ちた時、通夜の夢を見たことがある。 世界の終末に立ち会ったことがないので、主人公スノーマンへの共感を探るには、通夜の客となるしか自分の引き出しに入ってなかったのだろうと、想像力の無さにあきれたが、スノーマンが喪に服していたことは確かだ。ただしそれは、終わてしまった世界にではなく、無二の友クレイクと、最愛の人オリクスに対してであるが。

 物語は、同作者による『侍女の物語』と同様、異変が起こった後の世界で幕を開け、異変が起こる前の世界の物語を間にはさみながら進行する。

 現代よりさらに汚染や荒廃が進んだ近未来、それでも囲いの中は一応安全で、「つまらない世の中だ」と不満に思いながら生きていたジミー(スノーマン)は、突然の出来事で世界が終わった後、心を通わせることの不可能なクレイクの子どもたち(人為的に作られた新人類の種)とつかず離れずの距離に暮らし、失った物を思い出してはめそめそ泣いている。彼の嘆きは、人類が滅びたことに対してではない。快適な暮らし、愛する女、そして親友、これらを失った悲しみ、という矮小さが伝わってくる。

 ゆえに、読み始めは『侍女の物語』の女主人公のような魂の強さが見られない彼にイライラするが、おそらくそれは作者の企みである。そう思って読み進めると、終末以前の物語は、ジミーという、わずかな才能の煌めきは見られるものの、それ以外はいたって平凡な人物が、明日への漠然とした不安を押し殺し、その日の暮らしと享楽を味わうことで精いっぱいに生きてきた、それをざっくりと削除された恐ろしさを読者に追体験させるための周到な仕掛けと思えてくる。

 へーミン地でなく、エリート研究者が居住する「構内」で育った彼は、選ばれた人々の息子だったはずだが、両親のような才能がないことに早くから気づき(気づかされ)、静かに絶望していく(余談だが、この辺りの描写は、両親を失望させたと感じたことのある子どもにとっては、鬼気迫るものがある)。そんな中で出会ったクレイクは、友というより、あり得たかもしれない理想の自分として、彼の人生に強く関わっていく。

 逆に、クレイクが、凡庸なジミーを選んだ理由は、はっきりとはわからない。強いて原因を探るなら、生命倫理に反した行いを繰り返す企業に嫌気がさして逃亡したジミーの母親と、企業の恐ろしい秘密に気づき、事実を公表しようとした直前に抹殺されたクレイクの父親との類似のせいだろうか。

 そして、オリクス。彼が彼女を見出したのがポルノサイトであること、彼女が人身売買によって取引されていた少女だったこと、というエピソードが繰り返し挿入され、物語の中で強い違和感を醸し出す。

 オリクスが、クレイクと同様の立場の女性研究者ではなぜいけなかったのか疑問だったが、それはこれが「マッドアダム」の物語だから、と解釈できる。イブもまた、マッドイブでなければならなかったのだと。

 そして、クレイクの父親が気づいた企業の秘密、儲け続けるために人為的に病気を作り出し供給し続ける、その取組が最悪の結果を招き、世界は滅びる。

 滅びた後の世界、特に、伝染病にも遺伝子操作された獣にも耐性を持つ「クレイクの子どもたち」の描写は原始的な美しさに満ちている。しかし、彼らはジミーとは明らかに違う生物であり、その描写がジミーの孤独感を浮き立たせる。

 実は、閉ざされた実験場で死ぬ運命だった「クレイクの子どもたち」を安全な場所に連れ出したのはジミーなのだ。普通の人間がとった英雄的行動、そしてその後の長い長い卑小な詠嘆の日々。どちらも、ごく普通の人間が極限状態で取る行動なのだと、作者は淡々と語りかけてくる。

 本作は〈マッドアダム〉三部作の一作目で、最後に人類が生き残っていたという描写もあり、次作で物語は違う展開をみせるとの情報も。邦訳が楽しみである。

大串尚代(慶應義塾大学文学部助手、ジェンダーSF研究会会員)

 マーガレット・アトウッドの近未来SF三部作〈マッド・アダムズ〉三部作の第一作。全世界的な疫病のパンデミックにより、ほとんどの人類が滅んでしまった未来。スノーマンとよばれる男が、クレイカーズ(クレイクの子供達)と呼ばれる「新人類」とともに暮らしている。スノーマンはクレイカーズを見守りながら、自分が若き日に出会った友人クレイクと恋人オリクスについて回想する。かれらこそ、現在の終末的世界をつくりあげた人物であり、クレイカーズにとっての神であった。

 昨年出版したIn Other Worlds: SF and the Human Imagination (Doubleday, 2011)においてもSFに対する愛を語っているアトウッドが、21世紀に入って出版し始めた近未来ものの第一作である本書は、アトウッドらしい静かな語り口で、スノーマンが暮らす社会や家族のひずみを克明に描かれています。たとえば家族の問題(母親と父親の不和)、科学技術と芸術との階層化、人々の生活圏のゾーニング、理系第一主義、科学技術と資本主義との連携、科学技術と倫理の問題、ネット上の児童ポルノ、人身売買などです。

 人類の破滅と新世界の形成という問題は、聖書の終末論的なモチーフでもあり、もしかしたら目新しいものではないかもしれません。にもかかわらず本書が示す世界が、私に脅威に満ちたものに思われたのは、上記にあげた問題がすでに現実にさまざまなかたちで存在するものであり、それらを放置しておくとこうなるかもしれないという可能性を突き付けられているように思われたからです。そのときあなたはどうするのか、という問題を突き付けられているような感覚は、たとえば他のディストピア作品(創世の島など)からはあまり感じられなかったのですが、それはアトウッドの姿勢を反映しているのかもしれません。

 

おのうちみん(Webデザイナー、ジェンダーSF研究会会員)

 人類がいなくなって、無邪気で不思議な生き物達に囲まれているスノーマン。彼がジミーという少年~青年だったときに出会った、天才肌のクレイクとアジアからの難民オリスク。人間がいた昔の世界と、人間がいなくなった今の世界が交互に語られ、次第になぜ人類が消えたのか? がわかってくる。

 ど貧乏なアジアの村からの難民で、性的にも搾取された少女だったオリスクを救済しようとするジミーの視線と、オリスクが自分を客観的に振り返る視点の対立がおもしろい。ジミーがスノーマンになる過程で徐々に本人の視線が変化していく。

 マイノリティで搾取される被害者の自己肯定と、救済する側の欺瞞や自己満足を対比させたことがおもしろい。特にこの作品の場合は、救済する側が男性であることから、男性の正義感とか通常男性性において肯定的に賞賛される部分をばっさりきっているところがよい。

 シェルターなどで言われる「救済者はまず自分が抑圧者になりうることを自覚してまず絶望しろ」というのと同じ意味だが、このことは日本ではまだまだ認知されていない。この作品は救済者のもつ加害性、押し付け、抑圧、独善の構図がよく出ているので、もっと多くに読まれてほしい。三部作の第一作ということで、続編にも期待。

小谷真理(SF&ファンタジー評論家)

 ヒトの生体物質を使って新たな生命を作る。そんな科学技術か可能になった世界は、昨今では医術の進歩とあいまって、さほど違和感かなく考えられるようになったが、ただしモラルやヒューマニスムの矛盾を解消する思索が、必ずしも入念に積み上けられているわけではない。エリート族と、彼らが招いたバイオハザードの世界を、どこか滑稽で明るい怪物ランドの風景とともに描き出す。

 もちろん疫病や科学技術の濫用による人類滅亡テーマは珍しいものではない。だが、ジャンルSF作家の場合、 どのように崩壊しきった世界を描いても、どこかモラル信仰を貫き結果的には楽観的でポシティウな印象を与えるのに対し、アトウッドの視点には、 人間性(=男性性?)の最後の希望さえも否定しうるような、ゾッとするような非情さがあり、胸を衝かれる。

2010年度 海外部門 最終選考作品と講評

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