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2007年度 第3回Sense of Gender賞 海外部門最終選考作品

ケリー・リンク『マジック・フォー・ビギナーズ』
柴田 元幸訳〈早川書房〉
Kelly Link , Magic for Beginners

ケリー・リンク『マジック・フォー・ビギナーズ』マジック・フォー・ビギナーズ(ハヤカワepi文庫)

内容紹介(「BOOK」データベースより)

国一つが、まるごとしまい込まれているハンドバッグを持っている祖母と、そのバッグのなかに消えてしまった幼なじみを探す少女を描いたファンタジイ「妖精のハンドバッグ」(ヒューゴー賞他受賞)。なにかに取り憑かれた家を買ってしまった一家の騒動を描く、家族小説の傑作「石の動物」。
ファンタジイ、ゴースト・ストーリー、青春小説、おとぎ話、主流文学など、さまざまなジャンルの小説9篇を、独特の瑞々しい感性で綴り、かつて誰も訪れたことのない場所へと誘う、異色短篇のショウケース。

おのうちみん(Webデザイナー)

前作の短編集『スペシャリストの帽子』(ハヤカワ文庫FT)から1作家で1ジャンルを確立していたケリー・リンクだが、本短編種『マジック・フォー・ビギナーズ』(早川書房)ではより一層その傾向が顕著になった。もっともその分、筋の見えない宙ぶらりんさ加減も増しているので、起承転結のすっきりした物語に慣れている人は戸惑うだろうし、不親切な本でもある。おそらく万人向けではないし、解説してもらってわかるような本でもない。ただしツボにはまれば大変心地よい。いつまでもリンクの夢想の中で遊んでいたい気分になる。こうゆう短編集なのでこの評自体が蛇足なことは承知の上で、本短編集のSOG賞的読みどころを書いてみたい。

リンクの作品に共通のポイントは「となりのへんなもの」だ。現実と地続きの異界であり、すぐ隣にいる異人、毎日使っている異物。9編の短編には、国一つ入ったハンドバックとか、ゾンビが買い物に来るコンビニとか、毎回キャストも違うケーブルテレビの人気ゲリラ放送とか、明らかなへんなものがてんこ盛りで出てくる。それだけでも十分へんなのだけど、へんだと思いつつも対応している作中の語り手や登場人物のちょっとした仕草や行動、へんなものが成り立つ世界のシステムもまた、わけが分からずへんである。「石の動物」の大量発生するウサギやナゾの隣人以上に、巨大な輪ゴムボールをつくっている上司と職場はへんだし、「ザ・ホルトラク」の奈落から上がってくるゾンビより、こんなコンビニが成り立っている状況(ゾンビはお金を払わず物を押し付けて行く)の方がよほどへんだ。

コンビニや遠距離通勤のサラリーマン、離婚騒動、ケーブルテレビの人気ドラマといった、しごく日常的なアイテムに紛れ込む「異質なもの」が、リンクの世界では至極当然のものとして顔を出す。この落差は今市子の『百鬼夜行抄』で妖怪が普通に現代文明の利器を使う場面を思い出す。よく考えるとかなり怖いことなのに、なんだかおかしい、というユーモア感覚もリンク作品に通じるものがある。『百鬼夜行抄』で一番怖いのは大抵人間であるように、リンクの世界は、明らかにな「へんなもの」対する「普通のはずのもの」が実は一番へん。そして作中の「普通のはずのもの」は、わたしたちの現実の日常にもあふれている。では、わたしたちの現実の「普通のはずのもの」は本当に「普通のもの」なのか? この短編集には、劇中劇のように入れ子になった物語がいくつもあるが、「へんなもの」もまた入れ子になって、わたしたちの現実では一見「普通のもの」の顔をしているだけかもしれない。

実際わたしたちは日常生活で、いつもTPOに応じた何らかの皮をかぶっている。誰もが意識もせずにかぶっているジェンダーという皮は、一見「普通のこと」だけど、一度違和感に気が付くと、ペリペリと皮が剥けるように「へんなもの」「へんな自分」「へんな世界」が顔を出す。入れ子の物語が現実を浸食してくるように、作中の「へんなもの」たちは現実に滲み出してくる。一作読むごとにこの世界の不確かさを突きつけられ、でも、不確かの方がおもしろいからいいや、と楽観的になれる作品集だ。不思議に楽しくておかしいリンクの世界は、世間とのズレというジェンダー的違和感を感じてる人には特におもしろく読めると思う。

「猫の皮」では登場人物達が本当に猫皮を着ているのが、偶然日本語の「猫かぶり」をという擬態を思い浮かべておもしろかったし、表題作「マジック・フォー・ビギナーズ」のテレビドラマ「図書館」や蜘蛛ホラー小説を見たいと誰もが思うだろう。

福島かずみ(和装愛好家 コスプレイヤー)

私達が日々営んでいる「日常生活」というものは確たるものだと錯覚しているけれど、そんなのは実際は錯覚(もしくは思い込み)に過ぎないと気づかせてくれる作品の数々。

自分の祖母のハンドバックの中には、別の世界が存在しているらしく。 片思いに悩むシャイなアルバイト店員の働くコンビニには、その近くの世界の亀裂の深淵から、毎日のようにゾンビが買い物にやって来る。

女性上司の逆セクハラに悩む男性が、家族と共に引越した田舎の一軒家には、大量のウサギの幽霊が出没し、妻はどんどん変な振る舞いをするようになる。

ホーム・パーティーに紛れ込んで来た見知らぬ客は、実は刑務所帰りの詐欺師で、イカレた議論を撒き散らしながら、あげくに、とんでもないモノを盗んで行ってしまった。

お互いに理解しあえない世界に住む妻との離婚は、調停役が妻の味方をするため中々思うように進展しないし、ついには頓挫しそうで、憂鬱な毎日。

両親が離婚して別居するらしいので、仲の良い友人達とも別れて、楽しみにしているゲリラ的TV番組ですら、もう続きを見ることが出来なくなってしまいそう。

普通は原因があって、色々と経過があって、そして、その結果が出る筈なのに、まず結果が在って、経過が逆廻りに収束していって、最終的に、その原因に辿り着くなんて!

知り過ぎるほど良く知っている日常が溶解し、異質な世界と融合してしまう不思議な世界の描写は妙にリアルで、省みて、自分の何の変哲もない平凡な生活は現実感が希薄で、もしかしたら、薄氷一枚隔てただけで、実は非日常に繋がっているのでは? という足元が揺らぐような、とても不安な気分に陥るけれど、それでも、この不確かな人生を続けていかなければならないし……。

そんな、ストレンジな読後感のある作品群です。

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