大串尚代(慶應義塾大学文学部助手、ジェンダーSF研究会会員)
《二〇〇四年度センス・オブ・ジェンダー賞 選考委員のコメント》
今回最終選考に残った作品はどれもそれぞれに面白く啓発的でした。しかしながら、一作品を選ばなければならないとすると、やはり『アマゾニア』を推したいと思います。ジェンダーの問題もさることながら、圧倒的な語りの力と、どこに連れて行かれるかわからない、まさに森をさまようような物語の展開が、ひとつの完結した作品として評価できるのではないかと思います。また、ジェンダーにかかわる問題がさまざまに提起されているということも、センス・オブ・ジェンダー賞に相応しいのではないかと思います。
もうすこし広い視野でカルチャー全般への評価を含めて考えるならば、『ブレーメンII』は幅広い読者層を獲得できるすぐれたマンガ作品であると思います。また、『エイリアン・ベッドフェロウズ』が文学研究・フェミニズム批評あたえるインパクトも決して小さいものではないでしょう。『ブレーメンII』『エイリアン・ベッドフェロウズ』のいずれか(もしくは両方)の功績を、特別賞や功労賞のような形でたたえることができればいいと考えます。
以下、各作品についての感想を述べさせて頂きます。
〈各作品について(読んだ作品順)〉
川原泉『ブレーメンII』全五巻(白泉社)
『ブレーメンII』は、川原氏がこれまでさまざまな作品で描いてきた「社会的な弱者・規範からはみでている人・いろんな意味でハンデがある人(↑この作品のばあい「人」だけではないのですが)」への視線がよりダイレクトにでた作品だと思いました。
ジェンダーという点で考えると、この作品に出てくる「動物」を「女」「男の規範からはずれる男」と置き換えたときに、これまで様々な分野で女性が抑圧されてきた経緯を連想することができると思います。「ゴリラとかヒョウとかウサギとかネコとかクマとかイヌ・ブタ・ネズミ 動物たちが操縦する飛行船が ホントに飛んでるよおい…」(一巻二七頁)というセリフは、たとえば「女性は宇宙飛行士に向かない」というアメリカ人男性宇宙飛行士の発言を想起させます。また「だっておたくの医者 カンガルーでしょ」(四巻七三頁)というセリフはカンガルーを女と置き換えると、日常的な会話で聞こえてくるようです。「動物=man以外の存在」と置き換えることで、この作品をジェンダーSFと考えることが可能になると思います。もちろん、「動物」をなにに読み替えるかによってさらに解釈が広がるわけで、懐の深さを感じさせる作品でした。
粕谷知世『アマゾニア』(中央公論新社)
読み始めたらとまらずに、一気に読んでしまいました。丁寧に構築された物語には、読み手をすっかり泉の部族、アマゾニアの森に引き込んでしまう底力があると思いました。
結びの宴で幕を開け、森の泉と他部族との男性・女性との関係、部族間の力関係、守護精霊である森の娘の不思議な少女性などが説明される前半部。アマゾニアの女たちが作り上げてきた世界に入りこんできた白人男性へレスとアルベルトによって、調和を保ってきた女の世界が崩れはじめていく中間部。そしてオンサの襲撃を受けてから水底の森をさまよい、部族の起源をさぐり、ふたたび結びの宴に戻るまでの女たちとへレスのそれぞれの旅は、ジェンダーを考える上でいろいろな視座を与えてくれる点で、心惹かれる作品でした。
また、泉の部族で誕生したが、他部族へ里子にだされた男の子どもたちが長じてオンサとなり、森のアウトサイダーになっていくところや、怒りや恨みから、誰もが(赤弓でさえ)オンサになってしまう危険を示しているところなど、この作品が決して泉の部族のみを正当化するのではなく、相対的な視点を読者に提供している部分も、興味深いと思いました。ストーリーテリングという点では、一番楽しんだ作品でした。
映画『下妻物語』(中島哲也監督作品)
ロリータとヤンキーがいかに近く、交換可能な存在かということがよくわかりました。装いとともにある「美学」と「覚悟」の潔さが、見ていて気持ちのいい映画でした。ロリータもヤンキーも単に現実逃避なのではなく、逆に現実を知っているからこそ、それぞれの道をつっぱしっていくのだなあ…と思いました。彼女たちは「現実」と「虚構」の違いがよくわかっていて、その上で何が「本物か」ということもわかっている。それは、ふたりともなにかを「つくる」存在である(イチゴはヒミコの物語をつくり、桃子はドレスを)ことと関係があるのかもしれません。その意味で、桃子がクライマックスでヤンキー化し、イチゴがロリータ化(モデルとして…ですが)する物語は、単なる「友情」以上のなにかがあるような気がしています。
〈森奈津子短編〉『からくりアンモラル』『電脳娼婦』『ゲイシャ笑奴』
森奈津子氏の作品群の中でとりわけ印象に残った作品は「電脳娼婦」でした。「電脳娼婦」は、仮想現実の中で犯されつづけ、「死」でさえ繰り返し経験できるという語り手である娼婦が、現実には男であったこと、同性愛者であったこと、しかしながら女性に性転換する(であろう)ことにより、ジェンダーとセクシュアリティの対応が複雑に絡み合っていくところがおもしろいと思いました。もちろん仮想現実内での性差が現実のものと一致しないという設定は、決して目新しいものではないとは思いますが、仮想現実で経験した性的刺激と現実に経験できる感覚とのギャップに苦しむ語り手が、過去の快楽にとらわれる様子が切なくもあり、印象的な作品でした。
小谷真理『エイリアン・ベッドフェロウズ』(松柏社)
『ブレーメンII』のブレーメンたちが持つような「他者性」をジェンダーの視点から考察した刺激的な一冊だと思います。「エイリアン」の「ベッドフェロウズ」というタイトルも性的なニュアンスを醸し出していてステキです。共同体を転覆させるようなエイリアンの存在が浮かび上がってきます。本書の全体像を端的にしめした序章は、わたしたちがふだん「エイリアン」と聞いて想像する以上のものが、「エイリアン」という言葉に含まれることを明らかにしており、「共同体の外の人」がいかに多様性をもっているかを認識することができると思います。第一部を九○年代の初頭に、第二部のスディーヴン・テナントの存在、性転換レズビアンなど、性を攪乱していく人の物語を九○年代半ばに雑誌に発表していた小谷氏のジェンダー感覚の鋭さはさすがだと思います。知的刺激に満ちた一冊でした。