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2013年度 第13回Sense of Gender賞 講評

高橋準(福島大学教員)

今回初めてSOGの審査委員をつとめさせていただきました。選考会の時間は短かったのですが、充実した議論ができたのではないかと思います。とにかくほかの委員のみなさんのご意見が、鋭く的確で、多くのことを学ばせてもらいました。以下、一つ一つの作品への、わたしからのコメントです。順番は個人的な順位に沿っています。

坂井恵理『ヒヤマケンタロウの妊娠』

文句なく読んでおもしろい、今回イチオシだった作品。著者の『ビューティフルピープル・パーフェクトワールド』(全2巻)と同じく、少しずつ人間関係を重ねながら、一つの世界をオムニバス的に幾人もの視点から描く、という手法が採られている。

本作では、「男性が妊娠可能になる」という設定が、「空想的なもの」として作品の軸に置かれている。「出産」という生物学的機能が現実とは異なるものになることで、人びとの心がどのように揺れ動き、変わっていくか、また、第1話の主人公で、レストランチェーンの管理職である桧山健太郎が打ち出した「ウムメン・イクメン・カフェ」事業などを通して、社会がどのように変わっていこうとするかを描こうという作品である。

第1話が桧山健太郎(男性、32歳、管理職)、第2話が川端みずき(妊娠し、シングルマザーに)、第3話内海翼(男子高校生、恋人の里美との間で妊娠するが、中絶)、第4話が瀬戸亜季(アラサーのジャーナリスト、健太郎が妊娠した相手、シングル)、第5話が宮地紀子(パート、出産経験あり、夫が第二子を妊娠中)と、それぞれ別の人物に視点が置かれながら、同時に健太郎の取り組む「ウムメン・イクメン・カフェ」の様子が描かれる。最終話では、健太郎が出産をむかえ、さらに時間を経てその子(幸太郎)がパートナーとの間で妊娠し、親二人に報告する。

このように第5話までの主人公は、男性2人・女性3人、さらに妊娠当事者の男女、中絶経験者の男性、恋人・パートナーが妊娠した女性をシングルと既婚と、バランスよく配置されており、多様な視点から主題を考えることができるようになっている。

高く評価したいのは、発想もさることながら、こうしたバランスの良さである。また、親子二世代を描くことで、社会は変わるが、ゆっくりとしか変わらないことを示したり(日本における1970年代のフェミニズムの「第2の波」以降の流れを思わせるものがある)、「男性が妊娠するのは10分の1の確率」という設定にしたあたりにも(「10分の1」という数字は、心理学的には、数的マイノリティがもっとも差別を被りやすい値だと聞く)、作者のセンスを感じる。全体の中では小ネタとなってしまっているが、十代の妊娠を通して、「安心できるセックス」のために避妊を、という主張が織り込まれているところにも、好感を持てる。

1冊で話がまとまっているため、登場人物の心のゆれを十分に描き切れていなかったり、32歳で部長という桧山健太郎の設定にはいささか無理があるのが、難といえば難である。レストランチェーンでは、入社3~4年で店長、その後店舗を変わったり、会社にもよるが、課長やエリア・マネジャーなどを経て、本社部長にたどり着くまでには、だいたい15年から20年程度かかると思われる。社会学、特に労働研究にも関わる身としては、若干気になった。

あとは、日本社会だけでなく、アジア・欧米諸国はどうなったのか、このあたりもふれていていただければと感じた。もし続編があるなら、桧山のレストランチェーンの海外展開に合わせたストーリーも期待したい。

菅浩江『誰に見しょとて』

今回もっとも完成度が高いといえる作品。大賞受賞作で、ほかの選者からもたくさんのコメントがあると思うので、なるべく簡単にすませたい。
何よりまず、女性にとってきわめて日常的なものである「化粧」をSFのテーマにする、という着想に衝撃を受けた。さらにそれが、ユニーク・フェイス(第2話「閃光ビーチ」)、老人介護施設での化粧ボランティア(第3話「トーラスの中の異物」)、自傷(第4話「シズル・ザ・リッパー」、アンチエイジング、介護(第8話「いまひとたびの春」)と、現代社会に存在するさまざまな問題や動きとかかわりながら展開されていくところに、作者の構想力の幅広さを感じる。

最終的に〈ビッキー〉のモデル・山田リルは、他者との境界線とされ、それ故に第4章では自傷の対象になっていた皮膚を失ったのち、遠く離れた他者の存在を感じ取れる高みへと到達する。こうした「上昇」は、本作では外部の超越者によるものでもなく、ハードな科学技術の発達によるものでもない。SFの中でもきわだつ、特異なロジックで構築されている。

リルは、当初「どこの誰かも判らないみたい」(18ページ)とされていたが、第4話で生身の体を持つ存在として母親と共にイベントに登場し、最後には昔の同級生と1対1で会話をする。このあたりの構成も、連作長編として練り上げられているといえる。彼女の名前こそが、本作の主題だ。リル - LYL - "Love Yourself Lots"(364ページ)。「自分をもっと好きになって」。化粧はそのためになされるものだ、という。ほとんどヘテロセクシュアルな視線を介在させることなく、リルは登場人物たちの代表として、それを肯定してみせてくれる。

明治カナ子『坂の上の魔法使い』(全3巻)

今回唯一のハイ・ファンタジーで、世界観が破綻無く統一された、質の高い作品。「コミック・ソムリエ」を自称する同僚に評価を尋ねたところ、「いいですよ、これ!」とためらいなく返事があった。ジャンルとしては「ボーイズ・ラブ」に属するが、それほどハードではなく、馴染みがない人にも入っていきやすい作品ではないだろうか。

王家に仕える魔術師リーは、昔の主である王の息子、ラベルを弟子としている。ラベルはその昔、セロハン王国が滅びようとしている時に、カヌロス王から託された子だった。リーは半世紀の間、ラベルを体内に入れて眠り続け、そののちに再び彼をこの世に産み直したのだった(ただし肛門から)。坂井恵理『ヒヤマケンタロウの妊娠』と並んで、今回2作目の「男子出産譚」である。

リーはカヌロス王の母、オジデに仕えていた際に、「決して情愛を知ってはならぬ」「王宮に仕える魔法使いに恋愛は御法度ですよ」(2巻)と命じられていた。王家のものは魔法使いを支配する「王家の目」を持っている。その力で縛られているリーは、王子時代から自分に思いを寄せてくるカヌロスの愛に、応えることはできない。「一度でいい」「私の部屋へ来て欲しい」と王に求められた彼は、王の婚約者である南国の姫ゾラを身代わりに差し向ける。そしてこの一夜で、ゾラは王の子(ラベル)を身ごもることになる。

王の死後、ラベルを育てているうちに、リーはあることに気づく。すでに亡くなって久しい王の魂と、この世とあの世との境目である「黄金の川岸」で再会した際に、リーは率直にこう語る。「今の私はラベルが全てなのです」「私はあの子がいとおしい」(3巻)。

人を愛することはないと思っていたはずのリーだが、恋愛はできなかったものの、ラベルに対して親のような愛情は抱くことができたということなのだろう。自分が望んでいた生活を、かわりに息子がしているとわかって、王はリーにこう語りかける。「ここにきて、ついに主従を越え……対等になれたな」。魔法使いを支配する「王家の目」を持ちながら、王はそれを使うことをよしとしなかった。愛するリーと対等になることこそ、王が望んでいたことだったからだ。生前は実現することがなかったが、子どもを媒介にして、王の願いは実現することになったのだ。

『坂の上の魔法使い』は以上のような男性同士のラブストーリーなのだが、リーが女性であったとしたら、対等でありたいという王の願いは、少なくともこの話のようには実現しなかっただろう。なぜなら、どうしてもそこに男女間の権力関係がすべりこみ、王と臣下という身分差だけでなく、ジェンダー差を超えるという、別の試練が発生するからだ。男性間だからこそ成立し得えたロマンスだといえるだろう。

六冬和生『みずは無間』

今回もっともSFらしいSFといえる作品。主人公は宇宙探査機のAIで、日本人男性・雨野透の意識をデータ化した人格を持っている。長い時間をかけて、探査機は太陽系を離脱して外宇宙を旅するのだが、ことある度に思い出すのが、人間の雨野透の恋人であったみずはのことである。
話相手もおらず、退屈したAIは、“D”という疑似生命体をデザインする。だがこのDは、なぜかみずはと同じ過食症ともいうべき「貪欲さ」をもっていた。

人間の透にとっては、みずははもう一人の人間であり、他者である。しかし、AIとしての透にとってのみずはは、あくまでも人間の透が有する記憶であり、自らの外側に実在を持つわけではない。一緒に食事をする度に「ひとくち、もらっていい?」と彼の食べているものをねだり、バイト先で廃棄するはずのパンに砂糖とバターをぬってむさぼり食うみずはも、AIにとってはあくまでも記憶でありデータだ。それはいったい、他者といえるのか。

自らの貪欲さから自滅するDを見つめながら、「まるでみずはじゃないか」とAIの透は愕然とするが、実のところ、それはすでに透の一部にほかならない欲望だったのではないか。あげくのはてに、透は自分自身を分裂、つまり増殖させていく。さらに時とともに、本体そのものも限りなく量的に肥大していく。宇宙大での透=みずはの欲望は、限りなく貪欲であった。それこそ、ブラックホールが出現するほどまでに。
人工知能、主体、さらにそこに、摂食障害という女性に多く現れる問題を組み合わせたこの作品は、第1回ハヤカワSFコンテスト受賞作なので、巻末には審査委員の選評がついているのだが、残念ながらどれもピンとこなかった。どうもみずはは、あくまでも「他者」としてとらえられているのではないかとも思える。

実はそれは、作品そのものについてもいえることだ。みずははあくまでも、恋人である透の側から見たみずはである。彼女の摂食障害も、外からとらえたものでしかなく、ひょっとしたら、何か深く彼女の女性性と関連している部分を持つかも知れないということが、この作品での描き方からはわからない。「センス・オブ・ジェンダー」の観点からは、若干何かが物足りなく感じた。大賞作として推せなかったのは、こうしたことが理由かも知れない。

田辺青蛙『あめだま 青蛙モノノケ語り』

今回もっともコメントに困った1冊。選考会の際にも、この本について、何を語ったのかよく覚えていない。最初読んだ時は、時間を忘れて一気に読み切ったのだが、「センス・オブ・ジェンダー賞」の議論の中に位置づけるのは、わたしにはたいへん難しかった。

作品自体は、色彩感に富んだ佳作である。読み進むうちに、現実と非現実の境界がゆらぎ、人と人でないものが混交する。奇妙な感覚にとらえられる短編集だった。

特に印象深かったのは、吸血姉妹の話で、妹が男性とつきあいはじめると吸血願望がなくなってしまった、というもの(「血飲み子」「姉妹」「いちじく」の三作)。吸血鬼の話でも、血を吸うために首筋に唇をあてるというあたり、吸血という行為はエロティックなものとして考えられているのだが、男性とのヘテロセクシュアルな関係に入らなければ、エロティックな欲望はさまざまな方向に向かう可能性を持っている、ということなのかもしれない。「いちじく」にあるように、世間からは「変態」と呼ばれてしまうのかも知れないが。

2013年度 第13回Sense of Gender賞 最終選考委員の講評

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