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2006年度 第6回Sense of Gender賞大賞

大賞
飛浩隆『ラギッド・ガール―廃園の天使〈2〉』
〈早川書房〉

大賞 飛浩隆『ラギッド・ガール―廃園の天使〈2〉』ラギッド・ガール―廃園の天使〈2〉(ハヤカワ文庫JA)

受賞の言葉

ありがとうございました。
男性としてはじめてSense of Gender賞の大賞を授けていただけたこと、たいそう誇らしく、また、ちょっとだけびくびくしているところです。

短編「ラギッド・ガール」は、露骨に「接続された女」の影を匂わせているにもかかわらず、実は執筆にあたり(その後も)一度も読み返さないままでした。また、ジェンダー的、フェミニズム的言説について思いをいたすこともなかった、というか一顧だにしなかったと、まず白状しておきます。

というのも「ラギッド・ガール」に専念した七ヶ月のあいだ、私の視野をおおっていたのは阿形渓嬢の圧倒的印象であり、それと格闘するだけでいっぱいいっぱいだったからです。
格闘の相手は印象であり質感であって、つまりは言語化以前の領域でした。そして、阿形渓の質感とこすれ合うことによって、さらなる怪物、安奈・カスキがしだいしだいに飛の中から研ぎ出され形を得ていった、という記憶があります。
あれらの人物像はまぎれもなく飛の内部で象られたものではあるのですが、登場人物ではなくキャラでもない、まさに「印象」「質感」としか呼びようのないなにかであり、あえて別の言い方をすれば「魔述師」に一瞬だけ登場するあのカワカマスを抱き取ったときのなまなましい感覚、「御しきれぬ野蛮」そのものであります。書き終えて、さて女性読者の目に彼女たちがどう映るだろう、ということが、とても不安でありまたわくわくするような楽しみでもありました。

私にとってSFとは、そのような「野蛮」に、この不器用な指でふれるための方法にほかなりません。
「ラギッド・ガール」はそれが例外的にうまくいった作品であり、それゆえ愛着もあります。賞をいただけたこと、うれしくてなりません。

願わくば、どうか「彼女たち」が女性にとっても言語化しきれぬ野蛮でありますよう。

飛浩隆

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